2011年11月13日日曜日

自分を変える最初の関門

落ち着かない気分は、ふつう心地のよいものではありません。心が乱れるのは自分の内側か自分の外側の世界に何か問題があるからです。

こういう場合には対策が必要ですが、人間にはできることとできないことがあります。自分自身のことは自分にできますが、自分の外側にあることは自分にはできません。外側のことというのは、他者、状況などです。

変化を嫌う人は、他者、状況を変えようとします。また変わる必要が解っていても、Yes,But,If........その通り、しかし、もしを使って否定します。つまり「なるほど、その通りです。でも○○○○○なので、それは出来ないですね。もし、状況が
変わればやりたいですが」というようにして認めないのです。この構文を使っている限り、変化が起こることはあり得ないのです。

 それにしてもなぜ変わりたくないのでしょうか?人に頼ったり、弱さを見せると嫌な顔をされる環境で育ったことに原因があるのかも知れません。そのような人にとって最も都合がいいのは状況が変わってくれることなのです。状況をコントロールしようとします。しかし状況を変えることは無理な相談です。むしろ状況をコントロールしょうとするほど状態は悪くなります。

状況のコントロールに熱心でいると、失敗はいつも恥であり恐怖でしかなく、解決の扉というもうひとつの側面であることに気がつかなくなります。これではPDCAを使う機会を放棄しているのと同じです。

もし、自分を変えることに集中していると、自然にPDCAを使わざるを得なくなります。行動した後に何が起こったかを見て、どこに間違いがあったか、どこを直せばいいのか、その結果を再度実行してみる。あきらめない限り失敗はなく、やがて成
功にたどり着きます。こうした考え方も状況を変えることしか頭にないと「そんなにうまくいくはずがない」と否定的になります。いつも考えてばかりの習慣が身についていて行動しないから解らないのです。

いつも考えてばかりいるのは、弱さがバレルのが極端にイヤだからです。人間は相反する思考あるいは感情を持っていると、引き裂かれた状態と同じで身動きできなくなります。

 「何かがおかしい」と感じるとき、実際に「何かがおかしい」ものです。その認識が最初の段階ですが、やがて本能的に次の段階に進み「問題など存在しない」という否認の段階に進んでしまうとそれまでです。鈍い人はそこで止まりますが、敏
感な人は相反する認識が交互に現れてストレスになります・自己否定感が強いと、不快感を手離したいので、第二段階の認識を意識しようとせず切り離しますが、潜在意識に潜り込みストレスになります。

 自分を変えるためには、第二段階の認識をすることです。そしてPDCAを回すのです。いまこの瞬間に集中するようにします。

 自分を変えるためのスタートの機会になるのは、安心感を保つことができる適切な対策を見つけることです。ほとんどの人はそれまで、怖くて自分を変えることはできないでしょう。つまり自分の実力を認識した上で、つまり自分に合った効果的
な方法を発見することが必要なのです。
 しかし簡単に発見できるものではありません。その発見は何度もPDCAを回してみないと分らないのです。自分に変化を起こす上で避けて通れない必要なスキルなのです。

2011年11月6日日曜日

負の伝播

今回は【負の伝播】についてお話ししてみたいと思います。

 虐待は誰にも起こることではありませんが、起こった場合、間違いなく、受けた側の人の心に特別な文化とルールを創ります。それは長い期間、その人を支配し苦めます。どこかで断ち切って、その特異な文化とルールを断ち切らないと、世代をえて何代にも亘って伝播することは珍しくありません。

 いま今日の段階で、なんとなく生き辛さを感じる人は、間違った文化とルールの影響を受けていないか、用心深く自分を観察するのは悪いことではありません。直接親から酷い目に合っていても、そんな記憶はない」と断言する人もいるので、間接的に受けている場合には認識できなくても不思議でありません。さらに自分自身は親から愛された記憶しかなくても、親の中に間違った文化とルールが植えつけられていた場合には伝播してもおかしくありません。

 間違った文化とルールが意識的、あるいは無意識に五感を通じて入り込んだ場合には、自分では意識できない人生脚本に支配されることは珍しくないのです。そして価値観以前の存在のあり方として、自分の文化として自身全般に影響します。

克服は自他尊重を大事にすることです。他者が自分を傷つけることを許さない。逆に自分も同じです。自分のケアは自分でする、自分のことは自分が引き受ける、つまり主体性を持つことから始まります。他者と比較する必要はありません。自分の素晴らしさを自覚しましょう。

「私にはそんな価値はありません」「私は取るに足らないつまらない人間だ」と思う人がいるかも知れませんが、人は誰でも、人を笑顔にする乙とができます。人はみんな祝福された素晴らしい存在なのです。

他者と比較する必要などありません。私たちは物心がついたころから試験の点数で順位づけされてきたので、どうしても劣等感を覚えがちです。しかし誰にでも、大切な誰かに喜んでもらった経験はあるはずです。それこそがじぶん再生のヒントであり、自分の価値を創造する原点です。学歴や試験の点数など関係なく人は素晴らしい存在なのです。

しかし、なんらかの事情で自分の素晴らしさを認識できず、もったいないことですが心が折れている人もいます。しかも昔から日本では謙遜が美徳とされているので、自分を素晴らしい存在だと認めることに抵抗のある人も少なくありませんが、自分
を卑下し自分をつまらない人間だと思うことと、謙虚さは全く異なります。自分を素晴らしい存在だと信じられるから、なにごとにも謙虚に感謝できるようになり、逆に素晴らしい存在だと信じていない人ほど、謙虚になれないのが実際です。

 まず自分を信じてみましょう。
これは負の伝播を受けた人にお伝えすることですが、自分自身の面倒をみるという考え方が、虐待を受けた子供たちの新しい行動の一部になると、質的な変化が起こります。例えば、以前は罪の意識に押しつぶされてできなかったことが自分で責任を引き受けてできるようになります。主体性を持って遊んだり楽しんだりできるようになります。

自分と他者との問、特に親との聞に適切な境界線を引き始めると、限界を設定できるようになります。もうひどい扱いは許せなくなるし、他者の思慮のない行動も受け入れられなくなる。その一方で適切に人を信頼できるし、感情を解放するように
なる。この信頼と適切な対応を伸ばすと約束が出来るようになり、信頼関係が築けるようになります。それは平穏と回復につながります。

2011年11月1日火曜日

声に出せない人

かって彼女は職場を変わたばかりで、本来の彼女の領分の仕事だけに留まらず、誰でもできることまで、次々に飛んでくる指示に醐弄されなから、引き受けていました。明らかに処理能力を超える仕事量を引き受けていたのです。

その時、キャリアがない自分には、それが普通のことだと思っていたようです。乗り越えるべきことで、「できませんJ「助けてください」と言ったら最後、無能の烙印を押されてしまうと考えていました。そんなことしたら会社のなかで居場所を失う考えていたのです。

しかしその努力も虚しく、やがて体調を崩して自宅休養。顧客や職場内仲間に迷惑を掛けることに至って、ギリギリでつないでいた信頼を失ったのです。

「ベッドの中で、涙が止まりませんでした。」と言います。サボっているわけでもなく、睡眠時間も惜しんで懸命にやっているのに、どうしてこんなことになってしまったのか。悔しさと腹立たしさが湧き上がってくるものの、それさえどこに向けいていいのか、分からない状態が続いたのです。なぜ「NO」と素直に言えなかったのか。彼女は後悔しましたが、時すでに遅し。理由も対処の方法も分らないままで、無力感と自己否定感だけが強く残ったのです。

彼女の痛みを聴きながら、私は自分の過去を思い起こしていました。
私もサラリーマン時代に、2年間の処理能力を超える日々の果てに半年間の入院生活を過ごし、つごう1年間の療養生活を体験、さらにその後遺症に20年以上の歳月を費やしているからです。
しかし、私には後悔はなく、自己効力感があります。

この違いはなんでしょう。アサーティブであったかどうかの違いなのです。
可哀相に彼女はアサーティブでありませんでした。私の場合には手段に問題はあったものの、私はやりたいことをやったまでのことです。

もし、あなたが誰かを好きになって、その人を幸福にしたいと思って、自分の気持ちを告白するのと、恥ずかしさや不安から自分の気持ちを告白しないとしたら、どちらを選びますか?
その選択を分けるのは、プライドだと思うのです。
その人と関わって「幸福にしたい」のか。「幸福にしてもらいたいのか」の違い、つまり主体性は誰にあるのかという問題です。

 同じアサーティブ(積極的自己主張)にも、アサーティブとノン・アサーティブがあります。さらにノン・アサーティブにも「自分の権利を気遣わないノン・アサーティブ」と「他者の権利を気遣わないノン・アサーティブ」があります。
彼女の場合は、他者の権利を尊重して「自分の権利を気遣わないノン・アサーティブ」だったのです。そして私はアサーティブでしたが、「自分の権利」と「他者の権利」を守るためのアサーティブだったのです。「自分の権利」と「他者の権利」を守るために、ノンアサーティブになれなかったのです。

「できませんJ「助けてください」「私はこうしたい」と声に出すのはワガママなのでしょうか?そのときどきの心の動きや感情を言葉で表現し、周りの人に伝え、わかってもらうことができれば、随分と楽になれます。

しかし、彼女のようにそうしない人がたくさんいます。
そうしないでいると欲求は消えてしまうのでしょうか?

確かに感情のように消えていくものもあります。しかし本当に必要なことは消えません。では抑えこんだ欲求はどうなるのでしょうか?

感情的な行動となって表現されることが少なくありません。
感情的な行動とは、感情を行動で表現するのです。つまり腹が立っていることが分るような行動をするのです。してほしいことがあれば、プンプン、ツンツンするとかして、相手の責任にすり替えて相手に考えさせるのです。

これが問題をさらに深めます。これにひっかかるのは自己否定感の強い人です。大局的に見れば精神的な虐待が起こっているのですが、強迫的な行動が多い自己否定感の持ち主は気がつきません。感情的な行動の受け皿として都合の良い相手が自分の周囲に残ります。必要としながら相手をさげすむアンビバレンツな状態が日常化します。

感情的な行動にも、言葉で表現する場合がありますが、言葉で理解してもらうことをしないで、どちらかというと態度が主で、そのどさくさで言葉を使うだけのもの。つまり感情の勢いに言葉を載せるのです。

感情の勢いに任せるには、感情の高まりを待つ必要があります。つまり我慢を続けてヒートアップさせますが、それまでの時間、その片付いていない問題が続いているとは限りません。つまり沸点に達するまで、ずっと同じことを繰り返し考えてヒートアップさせているのです。

この状態を他者が気づいたら、「まだ、あのことを考えているの?」と呆れることも少なくないのはそのためです。
この間、本来できることには手をつけられません。あるいはうわの空で取り組むので効率が悪く成果もパッとしません。その手直しに余計な時間が費やされます。他者が眠っている間も働いているというようなことが起こってきます。心身に疲労は高まりますが、報われることはなにもないのです。不満と怒りが蓄積されていきます。

こんな手のかかることをするのは、言葉で表現できないからです。恥ずかしい、悪い、自分にそんな要求する資格がないなど、負のイメージが強いからです。負のイメージを強めているのは不満と怒りです。

自己否定感が強いのに、他者に対する否定感も強い。その一方で他者には叶わないという気持ちがあります。他者に対して肯定感情と否定感情があり、相手によって使い分けることでバランスをとります。
自分が考えた強者にはへつらい、弱者には高飛車になります。アサーティブでいう対等、自己責任を自らの誤った判断で破壊し、率直、誠実は誤った責任感によって葬り去られます。

「できませんJ「助けてください」「私はこうしたい」と声に出すことは、誰にも許されている人権なのです。
問題はこの判断を間違ったことから始まっていて、そのサインがそのときどきの心の動きや感情を言葉で表現しないことなのです。

言葉に出すのです。
出せるヒントをお伝えしましょう。

もし、あなたが誰かを好きになって、その人を幸福にしたいと思って、自分の気持ちを告白するのと、恥ずかしさや不安から自分の気持ちを告白しないとしたら、どちらを選びますか?

その選択を分けるのは、プライドだと思うのです。
プライドの中味は、主体性つまり責任を引き受ける勇気です。
幸福にしたいのかされたいのか、選択と判断のポイントはそこです。
責任を引き受ける勇気がないときには、黙って黙々と自信がつくように力を育みましょう。幸福にしたいと思うなら声に出しましょう。

これはすべてに通じることです。家族、友人、顧客、上司・部下とのコミュニケーションでも同じです。だかた人のことを人間という。会話のコツは「傾聴」と言われるのも、そこに理由があります。



相手の喜びを自分の喜びのように感じ扱うこと、そこから自分の喜びが相手にも自分の喜びのように感じて扱ってもらえる関係が生まれる。それをあなたが理解した後でも、感情を素直に言葉で表すことが出来ない場合があります。

感情を言葉で伝えることによって起こる相手の反応が怖くて、まだ表現できなかったとしても、それを恥じることはありません。まだ恐ろしいと思っても不思議ではないし、それならそれでいいのです。

もっと考え抜くと、なぜなのか理解を深めるはずです。それから始めてもいいのです。お互いの感情をお互いに表現することが、脅威でなく安心なことだと感じてからでいいのです。

但し、何も新しい感情が芽生えてこないとしたら、注意が必要です。越えるべき障害を越える努力をしていない証しだからです。楽しい暮らしを手にするために、越えるべき障害があることを忘れないでください。越えようとしていたら必ず何らかの未体験の感情が芽生えてきます。それはサインです。そのサインがどのような形をしていても、たとえば喜びであったり、恐れであったりしても、気にすることはありません。どのようなものであれ、新しい感情は変化を求める証しなのです。

なぜなら、新しい感情は、感情を麻痺させる習慣からの克服を求める感情だからです。
そこでなんのために感情を麻痺させる必要があるのかと不思議がるかも知れない。しかし、それは不思議ではなく、心身を守るために、無意識の内に自分の感情に気づかないようにしてきたからなのです。もし、あなたが感情を持ったとして、それがことごとく裏切られただけでなく、恐怖、不安、挫折、絶望を感じたとしたら、感情に目をそむけるようになったとしても、苦肉の策であって当然なのです。

そろそろ、感情を言葉で伝える不安について、理解が進んだかも知れませんね。
虐待の経験は、受けていても受けていないと思い込んでいる人が少なくありません。同じくアルコール依存症者の家庭で育ったにもかかわらず、アルコール依存症者はいなかったと思い込んでいる人も少なくありません。

それを認識することは、克服の手助けになることも少なくないのですが、成人したいま、すでに終わったことである場合には認識できないのなら無理にしなくてもいいと思います。問題は感情を言葉で表現することに不安があるのか、ないのか。あるなら克服を意識しましょう。

2011年10月31日月曜日

「あの人とうまく会話できないのはどうして?

 誰かとと話をしているとき、沈黙が続いて居心地が悪くなり、緊張が高まったり、会話がちぐはぐだなと感じなんとなくバツが悪くなったり、好きな人と話ができるチャンスなのに、なぜかうまく話ができなかったという経験をしたことはありませんか?sの上、好きになった経験はあっても、なぜだか特別に話せない相手がいたり。。。会話は日常のことなのに、日常でない出来事が起こるところに人の不思議があります。
?
会話上手でなくても、いつも自然体で話せるようになるには、どうすればいいのでしょうか。 そのヒントになるのが普段から親しい人と話をしているときのことです。何か違うところはないか、思い出してみてください。

まず親しい人との間では、心が通っています。 つまり、どのようにコミュニケーションしていいのか、わからないとは、心を通じ合わせる方法が分からないというように置き換えることもできます。
では、心を通じ合わせるせには、どうすればいいのでしょうか?

相手の訴をよく聞いて、さらに相手の話を引き出す山すような反応をする、そんなやりとりの結果、いい空気が流れて、自然と自分も乗っていけるようになるものです。 その瞬間に心が開いて、初めて心が通じるのです。




<親の心と、こどもの心、親しみのあるコミュニケーションの典型的なパターン>

要するに会話上手とは、自分もリラyクスして話ができるだけでなく、相手にも気持ちよく話をしてもらえる状況を作れる人なのです。つまり、あなたが望んでいることを相手も望んでいるのです。
言い変えると話し上手と思える人は、あなたがしていない努力をしている人だとも言えるわけです。違いはなにかと言うと、橋を渡る人と橋の手前で躊躇する人の差、落ちたときのリスクを引き受けて進む人と、リスクを引き受けない人の違いなのです。

ボキャブラリーに富んだ話し方で、どんどん相手を引き込んでいくことも大事でしょう。それはそれでコミュニケーションのスキルといえるでしょう。 しかし、たくさんの言葉を並べればいいというわけではありません。むしろ、会話上手な人は「聞き上手」なのです。あなたがそうされたらうれしいように、一生懸命聞いてくれることが会話上手になる基本なのです。


親しい人と話していると、聴く、話すという会話の内容だけでなく、態度・動作も違うはずです。心が開いているので、身体全体で会話しているのです。

・そのときの感情が違います。
・姿勢が違います。
・手や足の位置が違います。
・動作が違います。
・話し方のリスムが違います。
・話すトーンが違います。
・考え方・価値観に偽りがありません。(あるいは少ない)
・話の内容が違います。
・お互いのペースのバランスがいい。

そして、相手のことに心から興味を持ち、自然なと相槌をうっているはずです。
質問もざっくばらんに投げかけていると思います。

このような状態を初めて会った瞬間から作っている人がいます。もう何年も前からの知り合いのように話しかけてきます。しかも質問が多く話しやすい状態を作っています。オープンになって心が通じてくるから通じるのです。
「馴れ馴れしい」という見方もありますが、節度は行動の「境界」できちんと保っています。

「傾聴」という言葉があります。傾聴とは相手の話を熱心に聴くことではありません。相手が話していることを通じて、相手の気持ちになって追体験することなのです。たったそれだけのことですが、スマホを使いながら歩くながら上の空生活に慣れてしまうと、真摯に向き合う力は減退するばかりです。相手の気持ちになって追体験できるボキャブラリーを養うには、まずもって人間への興味を強く意識することです。そうすると「傾聴」は意外と簡単にできるようになると思います。

コミュニケーションは技術の問題ですが、心理的な問題が絡んでいることは少なくないものです。その場合には、技術だけでないメンタル面の解決が必要になりますが、こちらの問題は自身がどのようにしてトリッキーな仕掛けにハマって現在に至ったのか、その仕組みを理解、つまり気づきを起こすことが必要です。性格の問題ではなく、何かに起因した因果関係の末に自身が思い違いをしてしまっているのです。

つまり、会話が上手になりたいという課題は、単なる技術の問題、あるいはメンタルな問題、どちらの場合も「変える」という意識を持てば変われる課題なのです。

2011年10月29日土曜日

じぶん力チェックシート

ここでは、じぶん力チェックシート(PDF)]をリンクしますので、是非お試しください。http://www.genkipolitan.com/member/text/zibun_check.pdf

定期的にチェックし、ご自身の強みと弱みに分け、弱点を強化していただくようにお願いします。

よく出来ている項目には、◎
できている項目には○
まあまあの項目には△
できていない項目には×

◎○の項目は強み、△×の項目は弱みと分類し、それぞれの対策を講じるようにします。

2011年10月22日土曜日

コミュニケーションの問題を解決する11の資源

コミュニケーションの問題を解決するために効果を発揮する資源がありますが、ライフスキル講座では、あらゆる行動と考え々の基本となる前提があります。そのひとつがアサーティブ(積極的自己表現)です。


アサーティブ=積極的自己表現、あるいは積極的自己主張というと誤解されることもあるので、アサーティブという単語を使っていますが、自分のことに自分が主体性を持つということです。主体性は「いまある状態」から「より望ましい状態」へ修正するためのツールと言えます。

その具体的な手法が「スイッチチェンジ」です。「スイッチチェンジ」とは、簡単に言うと「物の見方を変えて、自分の行動を変えること」です。

たとえば、「雨が降っている」という現実を変えることはできませんが、状況判断を変えることで、「今日は雨だから家で本を読むのに最適、出かけずに読書しよう」というように、自分の行動を変えるのです。

つまり、主体性を天候に置かず、自分にすることで、プロセスを変えることを可能にして、体験を変えることができるのです。このことは(他者だけでなく、自分とのコミュニケーションも含む)コミュニケーションに対するとらえ方の面で重要な意味を持っています。


【資源を使う】
「こうなりたい」とか「こうしたい」・・・自分自身に変化を起すために必要な資源は、すべてその人の中に最初から備わっています。重要なことは、まず決断すること、次に行動することです。そうするとすでに備わっている資源が使われ始め、資源は使われることでますます増えていきます。以下に使える資源を示します。

【アサーティブを使う】
「自分を傷つける者は自分以外にいない」と言いますが、環境、状況はもちろん「コミュニケーションの核心」は受け取る側の判断と反応にあります。つまりコミュニケーションが苦手だという人は、主体性を持てず自分の硬直性に支配されているのですが、それは依存性を手離すことに危機感を感じているからとも言えます。
しかし、それこそが危険であり、スイッチチェンジを困難にして、苦しみの原因になることが多いのです。あらゆる行動と考えの基本となる前提であるアサーティブ(積極的自己表現)の五本柱である、率直、誠実、素直、対等、自己責任から遠のいていることが分ります。方向を逆にしてアサーティブの五本柱を意識して使い、やがて無意識で使えるようにします。

【主体性を使う】
主体性を持つことで、自身の柔軟性を引き出し硬直性にノーということができ、体験そのものから受け取る感覚が変わっていきます。

【スイッチチェンジを使う】
先に話したように主体性を自分がコントロールできないことに置かず、自分がコントロールできることに置きます。たとえばギャンブラーは賽の目に関心を持たず、自分がコントロールできる唯一である賭け方に関心を持つそうです。このように自分がコントロールできることに徹底することは、コミュニケーションだけでなく人生の判断と選択に大きな影響を及ぼします。主体性とスイッチチェンジは切っても切れない関係です。

【協働することを使う】
コミュニケーションは一方通行では成り立つことはなく、常に双方向の協働作業です。つまり相手や自分が受け取った感覚、反応から新たなコミュニケーションが生まれ、発展していくものです。受け取った反応が望ましいものでなければ、違う方法を試せばいいのです。そのヒントが親(厳格な、保護的な)、大人、こども(従順、無邪気)の心のどこから発進され、どこで受け取り、どう返したのかを知ることです。

【五感を使う】
私たちはすべての物事を五感を通して、五感で受け止めて、五感を通して表現しています。周りの環績や自分たちの行動に対して、人閣が識別できることはすべて五感で認識できます。自分を信頼してオープンマインドにすることが五感を機能させます。

【客観性を使う】
一般的に私たちが、見たり聞いたり感じたりしている情報は、実際とは違い、その個人の尺度によって偏って認滅されています。その尺度すら個人個人で違います。つまり同じ体験をしても感じ方や判断は、人それぞれなのです。この紛れもない事実を率直に理解することが、よりよいコミュニケーションがとれるようになります。

【傾聴を使う】
客観性を使うことは、言うほど簡単ではありません。アンテナのわずかな向きの違いでも自分のノイズが入ってしまいます。ですからまずニュートラルな立場に自分を置くことに留意します。その上で傾聴します。ノイズのない傾聴はコミュニケーションの基本中の基本です。

【内側の力を使う】
人には、他者の評価からなる外側の力と、他者の評価に依存しない内側の力があります。どちらも大切ですが、なにより重要なのは自分の存在も、他者の存在も、すでに肯定されていることです。その上で日常的に行動や言動が評価されますが、あくまで行動や言動がどうかということであって、よりよいものにすることが重要なのです。他者の評価からなる外側の力は色眼鏡になる危険があるので、お互いに内側の力を使ってコミュニケーションするようにします。

【肯定感を使う】
私たちの行動には、すべて何らかの肯定的な目的があります。目的にふさわしい価値に決定づけるのは主体性を持った本人の行動次第です。それを通して人は誰でもなれる最高の自分に高めることができ、人生の目的にすることもできます。ですからコミュニケーションの目的もなれる最高の自分に高めることができるように邪魔をしない肯定感を使います。

【PDCAを使う】
取り組んでいる仕事や状況に対して、それが望んだ結末であってもなくても、あらゆる結果と行動は成功のプロセスにあるので、すべて成功と呼ぶことができます。仮に望ましくない結果もそれを「失敗」と決め付けるのは、その人の間違った状況判断に過ぎないのです。

このような判断は、自分が持っている誠実さや資源を台無しにするだけなのです。望ましい結果を得られない状態であっても、プロセスにおいて成功へ近づいているのです。それを「失敗」と捉えずに「PDCA」を回転させることで、より望ましいプロセスにつなげていくことができます。この事実はコミュニケーションにもあてはまります。

2011年10月2日日曜日

ライフスキルの総和 / じぶん力

 自分と他者に対する肯定的な考え方、人間関係のスタイルを基礎にしたライフスキルの総和によって基礎的な力、その発展した力が人間力として効力を発揮します。

 ご説明しているようにライフスキルには、大きく分けて5つあり、自分自身を成長させるスキル(コミュニケーションスキル)、磁力のある目標を設定できるスキル(目標設定スキル)、PDCAサイクル(計画・実行・確認・反省)を使いこなすスキル(ストレスマネジメントスキル)、何をどうしたいのかを明確に出来る整理整頓、準備するスキル(意志決定スキル)良い行動を習慣化するスキル(自己認識スキル)があります。

[肯定的な構え/生きる構え]
 人間力開発のスタートは、肯定的な考え方と構えです。肯定的な構えとは、自分自身と周囲の人の人間力の素晴らしさを認め、感謝する心です。そして、あらゆる出来事は自己成長のチャンスであると発展的に受け止め、コミュニケーションでき
るスキルの基礎になるチャレンジを楽しめる心です。


【自己成長力/コミュニケーションスキル】
 リーダーは、人を動かす以前に自分自身を動機づけます。肯定的な構えをベースにして、自分と他者の内なる無限能力を信頼します。そして自己成長する方向を自覚し、積極的に行動します。


【磁力ある目標/目標設定スキル】
 自分の強みを生かし、周囲の人々に喜びを与えるワクワクする、磁石のように自分と周囲の人々を引きつける磁力のある目的と目的を具体的にした目標を持ちます。


[PDCA (計画・実行・確認・反省)/ストレスマネジメントスキル]
 PDCA とは4つのステップからなる世界共通のマネジメント手法です。目標に向かつて行動しますが、効果的な行動をするために、計画を立て行動し、いまこの瞬間に全力集中します。その結果を確認して、反省による改善をします。

【整理整頓・清掃・準備/意志決定スキル】
 整理整頓・清掃・準備は意志を強固にして持続を可能にする重要な作業です。情報、資料や物、人間関係を整理整頓し、何をどうしたいのかを明確にして、自分の周囲の資源、すべてを活かします。


【良い行動を習慣化する/自己認識スキル)】
 自分を知り、自己成長に役立つ考え方や良い行動、人間関係を習慣化します。無
意識の習慣が働いているので、自分を知ることは、決して容易ではありませんが、
自分の行動や感情の動きを客観的に見る習慣を持つと認識することができ、そこか
ら好ましくない習慣を変える力になります。

以上のスキルによって「自己成長力」を高め、「幸福な人生」を創造します。さらに幸福を拡大するには、周囲の人々と良い関係をつくる「人間関係力」が大切です。
つまり他者とコミュニケーションするように、自分とのコミュニケーションも重要で、そのあり方で自分をフルに機能させることができるのです。


【人間関係力/ライフスキルの総和】
 他者との関係は、自分自身との関係の反映でもあります。自己成長することでつ
かんだノウハウを活用して、ユーザ、地域社会、家族、仲間など、周囲の人々と快
適な関係を築き、快く協働して、共に成長します。


【人を大切にすることの表現/ライフスキルの総和】
 人間関係の基本は、人の良い所を心から認め、「人を大切にすること」表現力です。人間力あるリーダーは人の短所以上に長所に関心を持ち、肯定的な刺激で、伸ばそうとします。「人を大切にすることの表現」とは、表面的な態度ではなく「清
濁併せ呑む(せいだく あわせのむ)」ことが必要となる奥深いものです。

 「清濁併せ呑む(せいだく あわせのむ)」とは、善も悪も分けて隔てせず、来るものはあるがままに受け入れる広く大きな度量があることのたとえです。つまり善が悪の原因になることも、悪が善の原因になることもあることを考慮すれば、善
悪を分け隔てできることもなく、物事の因果関係から逆算すれば、慎重に紡いでいくことが重要になります。

善も悪も分けて隔てせずといいますが、善と悪を認識しているから分けて隔てしないことができるのです。つまり一旦分け隔てしているのです。分け隔てした上で、分け隔てせずに受け入れるとは、我慢することを意味します。

しかし我慢には無理があり長続きしません。「奥深い」と言うのは、この部分のことで、善悪の超越が可能になるのは、善と悪の因果関係を読みきれるようになるからです。日頃の訓練でスキルはアップしますが、物事の表面だけを見ることに終始
しているようでは訓練になりません。ある現象を「なぜ」「なぜ」を繰り返し、掘り下げることで、因果関係が見えるようになってきます。これはPDCAサイクルのC~Aのプロセスに他なりません。

 良いと思って行動していたことが、間違いの原因であり、うまくいかない原因だったということは少なくありません。たとえば嫁姑の関係なども人を思う善の気持ちが重なって折り合いが悪くなる典型です。誰が正しい、間違っていると肯定と否
定を切り分けるほど関係が悪くなる場合もあります。本来なら否定すべきもの、肯定すべきもの、その両方を「人を大切にする心」を基本に、再構成した肯定感を創造する力が持てるようになるには、ライフスキルの結集が必要なのです。

会社など組織のリーダーとなれば、家族のリーダー以上に、いろんな人の違う価値観を束ねて、チームの価値観を創造しなければなりません。それには、日頃からの「人を大切にした」見地からの大局観が力を発揮します。この大局観の基礎になっ
ているのがライフスキルの研鑽なのです。

ライフスキルの研鑽の場であり、道具になるのが、目的、目標であり、その本体とも言うべきプロセスであるPDCAサイクル(計画・実行・確認・反省)なのです。もしPDCAサイクルを使うことのない目的、目標なら達成しても自身の成長もなく、人と
協働しないPDCAサイクルならリーダーシップは磨かれません。

つまり自身の成長もリーダーシップの育成も面倒くさいことなのです。面倒くさいことが気にならなくなる背景には人への思いがあり、自分への思いがあります。人に対しても、自分に対しても、be the best you can be(なれる最高の自分になる)
という<BE(存在のあり方)>がじぶん力、リーダーシップの基本であり、指針なのです。

それは言い替えると、自分も他者もOKとする「自己肯定感、他者肯定感」に他なりません。つまりあなたの過去がどうであれ、そんなことは一切関係なく、いまここから<be the best you can be>なれる最高の自分になることに向かって歩みだす
ことが重要なのです。この重要感を伝えることができる力がライフスキルの総和の結果であり、(自分を含む)人間に対する優しさなのです。


【肯定的な話し方/ライフスキルの総和】
 (自分を含む)人間に対する優しさの表現として心のこもった言葉、話し方、態度、表情で、自分、他者、メンパーの心に火をつけます。肯定的な言葉を使って、明るく前向きな話し方をします。時に怠けている自分を叱咤激励するのと同じく他
者に対しても叱咤激励が必要になる場合もあります。


【理念・ビジョン・行動規範/ライフスキルの総和】
 ライフスキルが機能していると、自分自身の領域を超えて、より次元の高い領域に進みたいと思うようになります。組織の目的、目標を理念、ビジョンにまとめメンバーに伝え同じ方向にベクトルを合わせます。行動規範を作り、基本とする行動
パターンをチーム共通の習慣とします。たとえば以下のような行動規範がそうです。

・自分と周囲の人を尊重し励ます
・プロセスに注目する
・決めたことは責任をとる
・できるまでやる
・いまこの瞬間に集中する
・理想と現実の差をうめる目標を選ぶ
・感情的な行動をしない

自分の領域にすぎなかった行動規範は、自身の成長と共に、周囲の人々を引きつける磁力のある目的と目標と併せ、協働を通じてチーム共有の行動規範に発展していき、人間関係力の要になることで、周囲の人々の幸福に貢献します。


【リーダーシップ/ライフスキルの総和】
 リーダーシップとは、お互いの人権を尊重した上で、自分の夢や目的に人を巻き込み、巻き込んだ人を幸福にして、さらにリーダーに育むスキルです。リーダー自らが目標達成に熱意を燃やします。目標をマイルストーンを使って細分化してメン
バーを信頼して任せ、達成のフォローを先手先手で実行します。基礎になるのが周囲の人々の幸福に貢献する力で、行動規範と強い因果関係があります。

リーダーシップに根ざした以上の活動によって、心から協力してくれる良きパートナーが周りに集まります。また、心の通うファミリーや親友ができます。そして人生、仕事に充実感と楽しさを実感している「幸福なチーム」をつくり、「幸福な人
生」を彼らと共に楽しみます。

2011年9月25日日曜日

人間力を高めて、幸福な人生、幸福なチームを育む。

【人間力を高めて、幸福な人生、幸福なチームを育む。】

 同じ商品・サービスを取り扱っていても、利用する人の感じ方が違ってしまうのはどうしてでしょうか?人間力の違いで片づけてしまうのは簡単にしても、それで解決されるわけではありません。

「感じ方」は買い手、売り手にとって、実は一番大きな共通のテーマではないでしょうか。人の行動のすべては感情を満たすことに向けられているからです。購買行動も感情を満たす行為です。商品・サービスを買うことが目的ではなく、満たした
い感情を満たすことこそ目的なのです。

利用する人の感じ方が違う原因はたとえば接客力の違いに影響されますが、その違いはどのようにして起こっているのか、次のような階層になるのではないでしょうか。

1)商品・サービス
2)技術・知識
3)考え方・価値観
4)BE(存在のあり方)




 この内、他者に見えるのは、1)と2)です。 <技術・知識>だけあっても、ほとんど何も作れないし、サービスすらできません。たとえ作ったにしても人の心に届くものは作れない。つまり売れない。売れたにしても、良いものと何でもいい
を使い分ける2極化した生活者の状況に適した判断で便利よく使われるだけです。
売れるけれど利益は出ないという状況に押しやられてしまう。サービスだって同じでマニュアル程度のことしかできないのです。

<技術・知識>を支えているのは、何を美しいと思うか、何を大事にしているか、何を持って善しとするのかという基準となる尺度があってはじめて<技術・知識>は生かされます。つまり<考え方・価値観>があることで、どの方向に何のために
力を発揮するのかという道筋が出来るのです。

さらに<考え方・価値観>を動かしている<BE(存在のあり方)>という階層があります。BEとは、BE YOU、BE HAPPY、あるいはビートルズの名曲<LET IT BE>のように、存在を表現する存在動詞のことですが、日本には馴染みが薄い概念のような気がしてなりません。

 セリフが魅力のシェイクスピアの作品群ですが、その代表作「ハムレット」の有名なセリフ、"To be, or not to be"の翻訳に窮するのが何よりの証明ではないか
と思うのです。「生きるべきか死ぬべきか」というように訳されますが、苦肉の策であって適切とは思えません。それだけ訳が難しいのはふさわしい概念がないからです。自分は「あるがままにか、あるがままではなくか」ということだと解釈しています。そうすると物語との整合性もあるように思います。


<BE(存在のあり方)>とは、どんな風に働いているのか、どんな風に生きているのか、毎日の暮らしで何を信じ、恐れ、喜び、悲しみ、怒り、聴いたり、話しているのか、態度や姿勢のこと。いってみればこれこそが本心です。

<考え方・価値観>は言葉で伝えることができますが、<BE(存在のあり方)>については、その道のプロを除けば、ほとんど言葉にすることは困難です。だからと言ってないわけではなく、誰にでも必ずあります。ほとんどの場合、ドキドキする、楽しい、腹がたつというように感情で表すのが精一杯で、アサーティブであることのバックボーンです。BE(存在のあり方)に気がつかない限り溌剌とした人生を過ごすことも、コミュニケーションもできない。自分とのコミュニケーションが不全
のまま、他者とコミュニケーションできるはずがないからです。

 本心から離れた価値観に基づいた商品やサービスが売れるはずがないのです。いわゆるコンセプトとは、本心から発したものでありたい。たとえば私たちが仕事と呼んでいるのは、この3つの階層全体であり、人はその全体を感じ取っている、つまり仕事シーンでのお客はこの全体と取引しているのです。安いとか、便利だとかいう理由だけが買う場合の原因ではないのです。言い換えれば買ってもらえるというのは、人間力や仕事力を提供している売り手に向けた共感や敬意の表明なのです。

それは恋愛でもなんでも同じで、真に幸福な恋愛に押し上げるか、逃避の場としての恋愛に成り下がるかは、<BE(存在のあり方)>のあり方によるのです。<BE(存在のあり方)>は生きる構えに影響を受けているのは明らかで、適切化のスキルがライフスキルなのです。

ビジネスシーンでのクレームにあるような「どのような教育をしているのか」という質問は、正にそのことを明らかにした言葉ではないでしょうか。その裏には応酬性へのこだわりがある場合が少なくない。応酬性とは、簡単に言うとギブ&テイクのことで、クレームの場合には対価への不満です。

 日本古来の武術である柔道や剣道で求めた世界と同じように<技術・知識>を生かすには、それにふさわしい<考え方・価値観>と、その根底である<BE(存在のあり方)>に重きを置いた考えに共通している。LET IT BE、つまり「自分道」を築こうという次第だ。

【幸福な人生】
 人間は感情で出来ています。人生は時間で出来ています。感情と時間を機能させるエネルギーが、心身の健康です。健康的な心身を機能させるのが世界保健機構が定めたライフスキルです。「幸福な人生」を実現するには、感情と時間をコントロ
ールするライフスキルと下記の二つの力(条件)のあり方、使い方次第です。

◎外的な力
 仕事、社会的地位、役職、資格、経済力、専門知識、人間関係、趣味・・・といったもので外部の評価に依存するものが中心です。外的な力が効力を発揮する範囲は地域、期間など限定的ですが、「幸福な人生」を築く上で適度に必要です。

◎内的な力
 幸福は外から与えられるものではなく、自らデザインし、自分の心が決めるものです。だからまず、すでに持っている外的な力や条件を喜び、感謝することが大切です。そしてさらに自分と周囲に拡大することを考えます。内的な力は、自律的で
ある点が特長的です。人のお役に立ち喜ばれ、良き縁を創る力の基礎で、内的な力そのものが大きな幸福そのものになります。

【幸福なチーム】
 共に協働する仲間や、生活する仲間が幸福であれば、私たちの幸福感は拡大します。組織はリーダーに大きく左右されるので、リーダーが幸福であれば、メンバーも幸福になっていきます。さらにチーム力によって「幸福な人生」を決定づけるラ
イフスキル、外的な力、内的な力を強化し育むことで、より「幸福なチーム」になります。そして一時期の幸福ではなく、持続する幸福を得るには魅力的な目標設定とそれを実現する人間力の活用が重要です。

【幸福な人生とチームを実現するプロセス】
 内的な力、外的な力を育むエネルギーの根源であるライフスキルを高める行動を実践した上で、習慣化して、持続することで幸福な人生と幸福なチームは現実のものになります。ライフスキルを高める行動とは、自分がしたいこと、ありたい状態、
夢を叶えることです。そのプロセスでは質の高いライフスキルが必要になります。それをハードなことと考えるか、幸福な体験と考えるかは自分の選択です。後者でありたいと思います。

それはPDCA(計画→実行→確認→反省)のサイクルに語り尽くされます。PDCAが必要になるのは、対象となることがうまくいかないからです。うまくいかないと誰でも凹みますが、それを跳ね返すのは自分や周囲への人への肯定的な態度で、肯定的
な考え方、肯定的な人間関係のスタイルが力を発揮します。肯定的な態度はライフスキルの総和である基礎的な力とその発展した力の結晶です。つまりライフスキルを育むには、うまくいかないことを怖がらず、自分がしたいこと、ありたい状態、
夢を叶えることに積極的に取り組んでいくことが一番で、その最中の<BE(存在の
あり方)>こそが幸福そのものなのです。

 人は結果が気になるものです。その結果を勝敗の結果に置くか、勝敗に向かう<BE(存在のあり方)>を結果と見るか、自分の選択なのです。その選択の糸口が、自分は自分であり、他者ではないという「境界」であり、「コミュニケーション」なのです。

「コミュニケーション」が糸口になる理由は、人はひとりでは生きていけないという現実に立って、人間同士の潤いが孤立、孤独から救う鍵だと知るからです。潤いを作るためには拒否、拒絶ではなく、あなたはあなたのままでいい<BE(存在のあ
り方)>を肯定するからです。それを実感するには、勝敗の結果に置くのではなく、勝敗に向かう<BE(存在のあり方)>に結果を見る習慣をつけることです。その習慣化の具体的な手法がPDCAを使うことであり、PDCAを使うために自分がしたいこと、ありたい状態、夢を叶える行為が必要なのです。

 つまりコミュニケーションにもっとも必要なのは自分と相手を励ます力であって、そう思えば自分がどう見られているか、自分を相手より下位に置いた自分への注目しすぎに逸脱のありようが見えてくのではないでしょうか?

繰り返しになりますが、それにしても<BE(存在のあり方)>を膨らましていくのはPDCAを使い倒すことなのです。時に人はそれに疲れますが、停滞期があっても方向と道筋さえ見えていたら、また力を発揮してみたいと思うものです。

2011年9月11日日曜日

体幹を鍛える

ダイエットへの関心が高く、特に食事へのこだわりが強い。人間の身体は食べるものでできているといってもいいので、とてもいいことだと思う。健康を害すると、どんなにマインドが高くても、体調が良くないとふだんの力が出せなくなる。

しかし健康のメリットは体に関することにとどまらない。健康であると、特に トレーニングをすることによって、 精神的にタフになる、ポジティブになる、直感力が高まるというメリットもはかりしれない。

健康の条件でも特に大切なのは血液、骨、体幹だ。これらは食べ物だけでは築けない。トレーニングが必要だが、スポーツジムに行くまでもない。自宅で、職場で簡単に強化できる。知識・技術が優れていても幸福にはなれないし、いくら頭が良くても勝ち残れない。健康はライフスキルのひとつなのだ。

体幹とは、身体を支える 骨格筋の、体幹に属している筋肉を総称した体幹筋のことで、体幹筋には前体幹筋(腹直筋、腹横筋、腹斜筋、大胸筋など)と後体幹筋(後背筋、脊柱起立筋、僧帽筋)がある。さらに上肢、下肢に属する筋肉を体肢筋と呼んでいます。どれも重要ですが特に 腹直筋、腹横筋、腹斜筋は身体の中心です。

体幹は俗に言うダイエットとは次元が違うと考え下さい。体幹筋がしっかりしていると太りにくいのはもちろん、耐久力も違います。日常の意欲的な行動の支えになることは勿論、病気の予防、病気後の復活に大きな力を発揮しますが、これは日頃の精進の賜物ですので是非日頃から鍛えるように心がけてください。

万一病気になっても、体幹がしっかりしていると回復が早いので、自分への信頼感が高まり、意欲が増します。

では、今日は前体幹筋の中から腹直筋のトレーニングをご案内します。毎日1セット10回を基本に実行してください。




続いて、前体幹筋に属する腹横筋のトレーニングです。



簡単なので是非毎日実行してくださいね。


続いて、腹斜筋のトレーニングです。半年続けると習慣になり、しないとイヤな気分になります。是非毎日実行していい習慣をつけてくださいね。継続はメンタル面にも好ましい影響を与えて自己肯定感が強化されます。心身ともに充実しますよ。




 女性向けの腹斜筋のトレーニングです。




さらに、大胸筋のトレーニングです。腹ほど重要でないにしても、女性にとってはきれいなバスト作りには欠かせません。もちろん男性にもたくましく健康的なボディ・メーキングには欠かせません。あこがれのスターをイメージして半年間はやり続けるようにしましょう。

どの部位も、力が入っていることを意識しましょう。そうすると、やった分だけ効果があります。他のこと考えながらやっていると脳から信号が行かないので台無しです。



後体幹筋について

背中のシェイプアップをすると身体全体がきれいに見えますが、それ以上に体幹を鍛えることは、ボディ&メンタルを強くします。見えない背中もきっちり鍛えましょう。




脊柱起立筋の鍛え方

2011年8月28日日曜日

夢を実現する因果関係 ゴールデンルールを自分のスタイルにする


■ゴールデンルールを自分のスタイルにする

ゴールデンルールと呼ぶに価する態度には、いくつかありますが、そのどれもが成功した人々に強く見られる普遍的な態度です。全部まとめてでもいいし、ひとつだけでもいいので、自分に根付くように毎日意識して取るようにします。

「ゴールデンルールを自分をスタイルにする」という目標を叶える原動力は、他の目標と同じく心の底から喜べる感情体験を目的にします。そして目標を潜在意識に押し込むようにします。

そしてやはり同じように、時間こそ人生を念頭に期限を切ってひとつずつ身につけていくためのマイルストーンを設置するのがいいでしょう。今日はできたか、出来なかったか、記録を書き残し、なぜそうなったのか、明日はどうするのか、一日の終わりに必ず反省をして、明日の始まりと途中で再確認するようにして、焦点を当て続けます。PDCAを迅速にグルグル回すことが潜在意識に押し込む強力な手段なのです。

「ゴールデンルールを自分をスタイルにする」という目的は自律できる自分を創ることに他なりません。自分と他者を尊重して他者をコントロールしない自分創りです。そのプロセスでは因果関係が働いているのです。

・ポジティブな感情体験を目的にする
・目標を潜在意識に押し込むようにする
・マイルストーンを設置して踏破する
・PDCAを迅速にグルグル回す
・完璧主義をやめる
・成果主義を貫く
・時間こそ人生
・他者をコントロールしない
・体幹を頑丈にしておく

夢を実現する因果関係 完璧主義をやめる

■完璧主義をやめる

完璧主義が好ましい結果に至らないことは、多くの完璧主義者の結果から証明されています。その原因が完璧主義者の生きる構えつまり自己否定感に支配されていて、成功が約束されたことにしか手を出さないという如実な傾向にあるからです。

人間は自分が気になっていること、つまり焦点を当てていることに、無我夢中で取り組めばかなりの確率で成功します。ですから焦点をはっきりと明確にすることが、とても重要なのです。ところが自己否定感の強い完璧主義者は、ネガティブな光を当て続けて焦点を曇らせてしまうのです。行動しないための理由作りに熱心なのです。そのため本来あるべき態度はことごとく反対になります。

・ネガティブな感情体験を目的にする
・目標を潜在意識に押し込むようにする
・マイルストーンを設置せずに、どこから手をつけていいのか分らない
・PDCAを迅速にグルグル回さない
・ゴールデンルールを自分のスタイルにできないと信じている
・成果主義ではなく、結果主義を貫く
・感情的であることが人生
・他者をコントロールする
・継続しなければ効果が出ないことを嫌う

このような態度で焦点を曇らせば誰でも失敗します。これを繰り返せば自己否定感はどんどん強化されます。


完璧主義を手離す方法は、目的、目標に焦点を合わせるようにします。

そのためには
・ポジティブな感情体験を目的にする
・目標を潜在意識に押し込まないようにする
・マイルストーンを設置して踏破する
・PDCAを迅速にグルグル回す
・ゴールデンルールを自分のスタイルにする
・成果主義を貫く
・時間こそ人生
・他者をコントロールしない
を心がけ、
・完璧主義をやめる
・体幹を頑丈にしておく
を実現していくのです。

完璧主義を手離せば、リラックスした暮らしは現実のものになります。それだけではありません。リラックスしながら夢や目的が達成できるようになるのです。その中心になるのがゴールデンルールと呼んでいる「態度」です。

夢を実現する因果関係 PDCAを迅速にグルグル回す

■PDCAを迅速にグルグル回す

大きな目標ではどこからどう手をつけたら分らないものですが、コンパクトにすれば取り組みやすくなります。それにしてもただ頑張ればいいものではなく、マネジメントサイクルPDCAを迅速にグルグル回すことは必須です。

迅速にグルグル回すには、できるまであきらめない、いまこの瞬間に集中するなどのゴールデンルールを自分のスタイルにすることも必須です。

人は良いことだと知っていても、習慣化していないと行動に移せないものです。そこで感情体験を目的にすることで、目標に対してPDCAを迅速にグルグル回せるモチベーションを高めます。完璧主義を捨てて、できないことに果敢に挑むようにするのです。

完璧主義はできていないことを認めようとしない態度の原因になります。そして確約ができるまで行動しようとしません。人生は時間で出来ていることを忘れてしまったかのようです。

しかし確約はどこかにあるものではなく、目標を潜在意識に送り込みながら、成果主義の行動から見出すのです。完璧主義は失敗を不可能にするPDCAを使わずに、失敗の原因になるのです。

誰にとってもPDCAを迅速にグルグル回すことは唯一の武器です。過去は一切関係ありません。放置する忘れてしまうかも知れないPDCAですが、自分をコントロールして迅速にグルグル回せば、誰もが白紙に戻ってやり直せるチャンスにできるのです。

以上お話したように、先にあげた要因と因果関係があるのはいうまでもありません。

夢を実現する因果関係 マイルストーン

物事には因果関係があります。因果関係でつながっているものは、その内の最も弱いテーマに全体が引き下げられるという厄介がある。どんなに優秀な部分があっても、それが思うように機能しない。じぶん力を底上げするには、弱点を強化するようにしたいものです。

・感情体験を目的にする
・目標を潜在意識に押し込む
・マイルストーンを設置して踏破する
・PDCAを迅速にグルグル回す
・完璧主義をやめる
・ゴールデンルールを自分のスタイルにする
・成果主義を貫く
・時間こそ人生
・他者をコントロールしない
・体幹を頑丈にしておく

それでは10の因果関係について、前回に引き続き、今回は「マイルストーン」「PDCAを迅速にグルグル回す」について説明します。



■マイルストーン

モチベーションが高くなるようなことは、思うような結果はすぐにでないもので、そもそも簡単でありません。だから面白くないから耐えられない、不安になるから耐えられない。面白くないから気力がわかないというように悪循環が進んでしまいます。だからと言って簡単に達成できることなら、これもまたモチベーションが上がりません。だから難易度の高い目標を達成したときの喜びを感じることがモチベーションをあげるコツというわけになります。しかし目標が達成できないからモチベーションのあり方が問題になるというのが事実。

これは飛行機の離陸に似ています。離陸にエネルギーが必要なのです。つまり離陸から着地までというように、目標達成まで全行程のプロセスを明確にして、そのポイント、ポイントに「マイルストーン」を置いて小目標を設定するのです。

長い行程は大変で見えにくいものですが、コンパクトに区切った行程単位に目標を掲げると集中しやすくなり、目標も達成しやすくなります。目標を達成したときの喜びは、高いモチベーシヨンアップになり、次の目標に向けて力を発揮する原動力になります。

しかし「マイルストーン」にするから達成できるのではありません。「マイルストーン」はリーダーがメンバーに、あるいは自分自身が何をいつまでに達成すればよいのかをはっきりと明確に示し、いまこの瞬間に集中できるようにして、目標と行動を共有するから達成しやすくなるのです。

目標と行動を共有するのは、本気を引き出すためです。つまりリーダー以上に熱心なメンバーはいないと思いますが、リーダーが小目標の期限までに必ず達成するようにサポートすることで、達成に導き喜びを体験させ、モチベーションを高めて、次の目標に向けて本気になることで力を発揮させるのです。これを繰り返せばマイルストーンごとにモチベーションもスキルも上がっていきます。

しかし順風満帆が続くとは限りません。人は飽きるし油断もします。ここが重要なのですが、それでも目標と行動を共有していると先手先手で予防もしやすくなります。

たとえば会社のチームで考えてみます。担当者に「1カ月で新規契約 10件」という目標が与えられたとします。ゴールは1ヶ月先ですが、週単位でマイルストーンを置くと、4つに分けた目標を設定できます。1週目にしておく準備を整え、見込客づくりをします。1週目で100件(仮定)の見込客、2週は100件の確実性を高めながら、さらに見込客を増やします。2件獲得、3週目は見込客をしっかり絞り込んで8件の獲得、前倒し、前倒しが成功のコツです。 絞り込んでいく作業の内容は省きますが、これが個人的な学習、語学、専門スキルでも同じです。

ひとつひとつの期間が短いので、ハードルは低くても1週間単位のPDCAの濃度が増します。つまり集中力が高まり油断が減少します。しかしスキルが不足していると集中力だけではカバーできません。

不足するスキルは可能な限り事前に整備しておきますが、それもマイルストーンがもたらす緊張感が促します。それでも実際にやってみると問題が生じます。期限が来るまでに発見して間に合うように調整するのが、マイルストーンにおけるマネジメントする人の本分なのです。

重要なポイントをお伝えしましょう。もしマネジャーと10人の部下がいたとしたら10人の目標を達成するのは、実はマネジャーなのです。マネジャーのモチベーションとスキルにメンバーがいつの間にか共感し、目標達成の喜びと感謝がひとつになった感情体験によって、モチベーションとスキルがアップするのです。

はっきりと明確になった感情体験を目的にすることで、これが次の目標に向かうたびに、マネジャーから本人へ少しずつ重心が移動しながら実力として育ちます。
1週目より、2週目、2週目より3週目というように、自分への信頼とマネジャーへの信頼が同時に育ちます。

これがセルフマネジメントの場合ならどうなるのでしょうか?やはり同じです。自分をマネジメントする力に自分が共感します。信頼感が自分に対して起こります。人は他者とコミュニケーションするように自分自身ともコミュニケーションしているのです。コミュニケーションを通して自己肯定感を持つし、あるいは逆に自己否定感を持っているのです。

「マネジャーと10人の部下がいたとしたら10人の目標を達成するのは、実はマネジャー」だという やり方は目先だけを考えると、マネジャーにとって決して楽ではありませんが、急がば回れで、実効があります。マネジャーに深い感動と強いやりがいも生じます。その源泉が理想の部下をイメージした完璧主義をやめ、他者をコントロールしないで、 ゴールデンルールを自分のスタイルにした自分が PDCAを迅速にグルグル回すことで、時間と戦い抜きながら 成果主義を貫くからです。それは「命令」という名の依存を捨てた時から始まります。

依存をやめることで、目標を持てと言わなくなります。その代わりマイルストーン
でコンパクトにした目標を自分が意識を明確にすることで、目標を潜在意識に押し
込むチャンスが増えます。誰よりも認識している自分が他人任せにしないで、時間
を意識しながら目標に関わるからです。

この関わり方の必然で部下とのコミュニケーションは増え、目標を潜在意識に押し込むようになります。人は意識が強くなると集中力が働き、成果につながります。
時間を意識しながら目標に関わることができるのはマイルストーンの効果なのです。いまこの瞬間に集中する仕組みができるのです。

その成功から得る自信は自身の人生に計り知れない影響を与えます。最初は目標の高さに否定的になるかも知れませんが、実効性でいうと目標の高さと期間の短さが摩擦するきしみになってエネルギーになります。眠っている本気を引き出すのです。

このように、マイルストーンの設置と踏破は、次の要因と深い因果関係があります。この内どれかを欠いたとしたら、 マイルストーンの踏破はうまくいきません。

・感情体験を目的にする
・目標を潜在意識に押し込む
・PDCAを迅速にグルグル回す
・完璧主義をやめる
・ゴールデンルールを自分のスタイルにする
・成果主義を貫く
・時間こそ人生
・他者をコントロールしない
・体幹を頑丈にしておく

そして健康が自分の気力を支えていることも忘れないようにしたいものです。

夢を実現する因果関係 目標を潜在意識に押し込む

■ 目標を潜在意識に押し込む

私たちは、心身が健康であれば、誰でも夢を叶える力を持っています。しかし、ほとんど誰もが阻害要因も併せ持っています。この障害がノイズとなって「自分なんか」というような潜在的な否定的態度になることも少なくありません。

その潜在する障害を乗り越えるには、知識だけではほとんど太刀打ちできません。その証拠に、自己啓発本を読んでやる気になっても続かないという悩みを沢山の人が抱えていて、大半はあえなく頓挫します。

これを乗り越える唯一の方法が「 目標を潜在意識に押し込む」ことです。 目標を潜在意識に押し込むことができれば、PDCAは回せます。とても人間の自然な反応にフィットしているからです。私たちが自転車を乗りこなせるようになったのは、誰に学んだわけでもなくPDCAを使いこなしたからです。つまり私たちは本能的にやり方を知っているのです。

問題はネガティブな潜在意識を除去することですが、原因が分からないので除去する方法もなかなか見つけられないのです。ならば除去せずに潜在意識に押し込んで、上書きしてしまおうというわけです。そこでもっとも簡単な感情体験を目的にしようというわけです。目的や目標が持てないのは、「どうせ自分なんかにはできない」と思うからですが、どんな気持ちになりたいのか、それなら言えるだろうというわけです。

楽しくなりたい。みんなと仲良くしたい。こういうことなら幼稚園の子供だって言えます。大の大人は知識のある分だけ、とってつけたことを言いますが、本心は同じです。この本心を目的にするのです。しかし具体性がないと行動できないので、具体的な目標を設定します。目標は後からどんどん大きくしてもいいので、まず小さな目標でもいいから設定します。成田空港まで行く目標が、成田に行ったことで、世界旅行になってしまったでもいいのです。

どちらにしても目標はコンパクトな方が具体的な方法も分かりやすくなります。そこで1マイルごとに石を置いて目標にする「マイルストーン」という方法を採ります。小さい目標といっても甘く見たら踏破できません。小さくても、1行程に当てられた時間(期間)を守り、PDCAを回し続けて、成果主義を貫く鍛錬が、ゴールデンルールを遵守する繰り返しになり、やがて自分のスタイルとして身につくように
なります。

それは言うのは簡単ですが、1行程に当てられた時間(期間)を守ることは想像以上に忙しいものです。忙しくない目標なら目標を低く設定する間違いをしています。自身にふさわしい目標なら間違いなく忙しくなります。だから心揺さぶる感情体験ができるのです。また、多忙と達成感は緊張感伴った疲労感を呼び起こしますが心地良い疲労は、健康への感謝と注意にもつながります。

以上、「 目標を潜在意識に押し込む」ことは、

・感情体験を目的にする
・マイルストーンを設置して踏破する
・PDCAを迅速にグルグル回す
・完璧主義をやめる
・ゴールデンルールを自分のスタイルにする
・成果主義を貫く
・時間こそ人生
・他者をコントロールしない
・体幹を頑丈にしておく

と、深い因果関係を持っており、潜在意識を上書きする作業を通じて自身全体を改革することを可能にします。

夢を実現する因果関係 感情体験を目的にする

夢を現実にする10の因果関係

物事には因果関係があります。因果関係でつながっているものは、その内の最も弱いテーマに全体が引き下げられるという厄介がある。どんなに優秀な部分があっても、それが思うように機能しない。じぶん力を底上げするには、弱点を強化するようにしたいものです。

・感情体験を目的にする
・目標を潜在意識に押し込む
・マイルストーンを設置して踏破する
・PDCAを迅速にグルグル回す
・完璧主義をやめる
・ゴールデンルールを自分のスタイルにする
・成果主義を貫く
・時間こそ人生
・他者をコントロールしない
・体幹を頑丈にしておく

それでは10の因果関係について、今回は「感情体験を目的にする」
「目標を潜在意識に押し込む」について説明します。


■感情体験を目的にする

感情体験を目的にすることの最大の意義は、自分の本心を知るためです。モノや金そのものに、自分の本心があるわけでなく、本心に到達するための手段でしかありません。

しかし、そのことがかえって自分の本心が分からなくなる原因にもなり、代替不可能な願望のように思えて、ちょっとしたつまずきに挫折感を感じる原因になります。

前回もお話したように温かい人間関係を作ることと、特定の誰かに恋焦がれることは本当は同じ問題です。その証拠というわけではありませんが、ほとんどの人は、何人かの違う誰かを愛する応用力があります。ロマンティックでない意見かも知れませんが、自分と相手を大切にするためにも現実的な判断も必要です。

話が横道にそれましたが、感情体験を目的にすると視野も広がり、 マイルストーンを設置して踏破する力も湧いてきます。つまり大きな目標にも取り組みやすくモチベーションを維持するのも容易になります。それはPDCAを回すエネルギーにもなります。なぜならコンパクトな目標を達成するために、大目標と同じ感情体験をすることができるからです。

たとえば「チームのみんなと恊働して。みんなで達成感を分かち合いたい」という感情体験することが最終の目的であった場合、マイルストーンで区切った小目標にも適用できるからです。そうすると毎日のように達成段階と同じ感情体験ができるだけでなく、日に日に最終の目的が膨らんでいきます。つまり毎日コツコツ貯金して、最後にドカンと大金を引き出すような喜びが体験できるのです。

この効果は、難易度の高い「潜在意識に目標を送り込む」作業を簡単にする効果があります。この効果によって成果主義を貫きやすくなります。なにより毎日が成果主義の日々ということになり、自信を深める効果があり、PDCAへの理解が深まると同時に時間への意識が強くなります。

あり得ない完璧主義への囚われが減り、自身のマネジメントこそ命綱、つまり自分と出来事を動かしているのは他ならない自分であることを強く認識します。準備が大事であることへの気づきが起こり、本気で取り組む姿勢が高まります。それはゴルデンルールを自分のスタイルとして身につけることを意味します。

「感情体験を目的にする」にすることは、

・目標を潜在意識に押し込む
・マイルストーンを設置して踏破する
・PDCAを迅速にグルグル回す
・完璧主義をやめる
・ゴールデンルールを自分のスタイルにする
・成果主義を貫く
・時間こそ人生

という因果要因と深く関わっているのです。

さらに、自分と出来事を動かしているのは他ならない自分であることを強く認識することは、 他者をコントロールすることの無意味と時間の浪費と感じるようになるでしょう。つまり自分が責任を引き受ける率直で誠実な態度が強化され、責任感は自分の健康への強い関心の源になります。

健康管理も仕事の内と意識できるようになれば、元気に働ける喜びを実感できるようになるでしょう。このように「感情体験を目的にする」ことは10の因果関係すべてと関係していて、串刺しにすることで大きなエネルギーになるのです。




2011年6月27日月曜日

楽しい暮らしに必要なこと

楽しい暮らしに、なにが必要なのでしょう。
自律、因果関係、原理原則・・・人生を楽しく生きる三つの知恵です。

こどもを育てていると、その分、親の欲求は抑制を強いられます。抑制の度合いはひとりひとり違いますが、年々乏しくなっているように思います。それがいいことか、悪いことか、その判断も度合いと質で変わります。

いずれにしろ幼児虐待というのは抑制が出来ずに起こります。親が自律できないのです。自分を規制することが我慢できないのです。

子育てに限らず自律の問題は愛情と密接な関係があります。自律には秘訣があります。抑圧が気にならないほど、気を奪われることを持っていることです。抑圧に意識が集中すると被害者意識が強くなります。幼児が苦痛を与えていると思い込むと「おまえのせいだ」と子供にはけ口を求めてしまう。

逆に子供への愛情が満ちていたら、自分が我慢することくらい何ていうことないと思います。同じことをしていても観ているところが全然違うのです。

寝食忘れてというのは、生きるために必須の欲求ですが、それさえ気にならない状態のことです。一般的にはポジティブに働いた場合の表現ですが、ネガティブに働いた場合の状態が中毒、依存です。幼児虐待もそうです。自律できている状態はバランスがとれていることで、自律の裏返しが抑制です。

なぜ、抑制できないかというと、原理原則を知らないのか、受け入れることができないかです。原理原則とは「原因と結果」の事例をたくさん知っていることです。
数少ないと潜在意識にまで入っていかないので、役に立ちません。知識として知っていても機能しないのです。考えるとき、ルーティンワークのように自然に働かないと使い物になりません。

たとえば同じ業界でも、川の流れと同じように上流、下流、中流があります。そのポジションで頭の動き方が違います。億の単位で商売する人、銭の単位で商売する人がいて、儲け方も違います。頭の良し悪しではなく、思考回路が全然違うんですね。犯罪を働く人もそうです。一般の人と思考回路が違う。詐欺はその典型です。

アイディア商品を発明する主婦の頭脳もそうです。ダジャレを連発する人も同じです。同じものを観ても見方が違う。幼児虐待に走る人も同じで、やはり思考回路が違う。

希望を叶える力のある自分になりたいと思うものの、思うようになれないのにも理由があります。自分だけの問題でなく、少なくとも三代くらい前の先祖の影響は受けている。親の因果が子にたたり・・・というやつで、因果関係がある。なぜ、いまの自分がと思っても、なかなか思うように変われないのには習慣があります。

だから、因果関係に目もくれずに希望に向かって、わき目をふらずに、まっすぐ突き進むのが一番手っ取り早い。耳なし芳一の世界です。耳なし芳一は成功しませんが、2回映画化された山田風太郎の「魔界転生」では柳生十兵衛が同じことをして幽霊を打ち破ります。

それでも寝食忘れ、自分を律して、やりたいことに突き進んで成功した人、あるいは感受性の鋭さや特長で成功した人が、結果的には潜在イメージに支配され自ら破滅したケースもたくさんあります。この人たちは因果関係を読まなかった人です。
内面の力に関心が弱かったために、感情の怖さに気がつかなかったケースが大半です。

自律が外的な力を高める目的のためだけでなく、自分自身つまり内面の力を高めるために使われ続けたときに、自分の手によって幸福はもたらされるのです。しかしそれをひとりで続けるのが難しい。だから抑制したいと思い続ける動機が必要なのです。モチベーションをあげる原動力となる目的を持つことが大切なのです。

スポーツジムで長続きする人は、ひとりでやってくる人です。ふたりで来る人の方が脱落しにくいのですが、それも最初の内だけです。確かに最初はひとりより、ふたりの方が続きます。休もうとしても、片方が行くと一緒についてくるので、長続きしますが、やがてはそれも時間の問題です。ひとりが脱落すると簡単に止めてしまいます。依存しているから続いただけで無理があるのです。

ひとりの場合は、脱落も早いのですが、それを超えた人は習慣化します。抑制したい気持ちが続くのです。そういう人が、同じような人を見つけて新しい友人を作っていきます。「あの人もがんばっているから、自分もがんばろう」

恋愛も、家族も、仕事も、自分作りにも、同じ原理が働いていて、同じような因果関係のメカニズムがあります。このメカニズムを機能させることで自律が容易になります。
苦手な自律を簡単にするコツは原理原則が語る因果関係を上手に使うことです。

2011年6月26日日曜日

幸福の因果要因を串刺しにする

企業にはそれぞれの目的がありますが、同時に果たすべき責任があります。

企業活動には成否を図るいくつかの測定基準がありますが、なにを一番重視するのが正しいのでしょうか。


  • 利益
  • シェア
  • 成長率
  • 顧客満足
  • 従業員満足
  • 社会貢献
  • 株価(上場している場合)


まず利益は絶対額こそが重要です。それに比べてシェアは業界内の相対的な規模の話なので、決定的な意味がありません。規模の変化を観察する成長率も同じです。共に利益と正比例しますので、利益に従属するものです。

シェアや成長率を気にする経営者がいるとしたら、それらが利益と正比例しているからに他ならないはずですが、トップマネジメントの表現の仕方で、管理者や一般従業員に勘違いが起こることもあるので注意が必要です。

顧客満足は、実際には利益そのものを意味します。同じものであり、表現の違いでしかありません。顧客満足は利益と同義語ですが、少しばかり違うのは顧客満足がプロセスのあり方も内包している点です。

顧客満足を重視するのは、「利益」と言っても「長期継続利益」を意味しているからです。もし長期継続を忘れて、あるいは抜きにして「顧客満足がもっとも重要だ」と定義するなら、歪んだ考え方と言わざるを得ないでしょう。

従業員満足も社会貢献も「長期継続利益」を可能にしてこそ実現できるもので、従属的なものです。

つまり実際に勝敗を決する基準、最も重視する基準は「長期継続利益」なのです。

「長期継続利益」を可能にするには、立ちはだかる障害をどのように越えるかが問題になります。


  • 業界内部の対抗度
  • 新規参入者の脅威
  • 代替品の脅威
  • 供給者の交渉力
  • 買い手の交渉力


5つの障害は、どのようなビジネスでも生じます。これら障害の脅威が強いほど、「長期継続利益」実現の難易度は高くなります。この5つの条件によって、世の中の動きが、常に利益が出ない方向へ誘導したことを歴史は物語っています。

世の中の動きとは、代替品の登場、新規参入から始まり、供給者の交渉力、買い手の交渉力が高まることでした。その結果、これまでの牙城が崩れるというパターンを繰り返しています。

実のところ、ここまであげたのは、あるいはここまであげたことは、人間の活動には共通した普遍的な問題だからです。活動には成否を図るいくつかの測定基準があると言いましたが、人には幸福を図る測定基準があると置き換えたらどうでしょう?


  • 恋愛/結婚
  • 子育て
  • 家族
  • 仕事
  • お金
  • セックス
  • 健康


さて、あなたにとって一番重要な基準は何でしょう?

どれも大事なことですが、これらを機能させるには「長期」を念頭に置かないと幸福は続きません。しかもこれらの内、どれかひとつが機能すれば幸福ということはありません。ひとつひとつがすべて長期に機能することを「幸福」と表現しているのです。

それにしても「すべて」とは、随分と欲張った話ですね。しかし事実です。これらの基準の内、全部に影響しているのは「健康」です。もし健康でなければ、すべて困難になるか、縮小を余儀なくされます。ですから心身のセルフケアがとても大事であることが分かります。自分への関心を強くすることができてこそ健康は実現できます。

企業活動のすべてが、環境の変化に伴い利益の獲得が難しくなるように、人間も健康維持が困難に向かいます。それを乗り越える力が、企業なら利益、人間なら健康という禅問答の話になりますが、この健康の内訳が恋愛/結婚、子育て、家族、仕事、お金、セックスなのです。これらは健康を構成している要因なのです。

これらの要因を満たしていくことが健康に暮らす方法なのです。そこで「この人と結婚できたら他の事はいい」といった本心ではないことが本心のように思える勘違いが起こります。恋愛がうまくいけば健康になれるのか、いい家族を作れば健康でいられるのか、お金を沢山持っていたら幸福なのか、いいセックスをすれば幸福なのか。

短期的な目先のそれは実現できても長期の健康も幸福も無理なのです。ただ健康を構成している要因を満たすだけではダメなのです。

では何が問題なのでしょう。私たちはどうしたらいいのでしょう?

健康を構成している要因の「満たし方」が健康を実現するキーワードなのです。

冒頭の企業活動の話に戻してみましょう。企業活動での長期利益を実現するには、競争相手に勝ち抜くことが必須条件になります。なぜなら>競争相手に勝ち抜くことは、勝つことが目標ではなく、勝つことが「長期継続利益」を困難にする障害を越えることと同じ意味だから重要なのです。なぜならみんな同じ障害と闘うからです。

つまり他社との明らかな違いが求められますが、障害を乗り越える知恵と行動力が問われるのです。人生はコントロールできないが、問題を乗り越えることが出来る。実はマネジメントこそが生きる醍醐味だと分ります。

それを健康に引用するとどうなるでしょうか?健康も幸せも個人的なものだからライバルなんかいないと思うかも知れません。でも、誰にも強力な競争相手が存在します。もうお気づきですね。最大の敵は、自分自身です。

そこで”なにを”ではなく、”どのように”が問題なのだと気がつきます。

「いい恋愛/結婚をすれば健康(幸福)になれる」のではなく、「どのように恋愛/結婚をすれば健康(幸福)になれるのか」
「いい子育てをすれば健康(幸福)になれる」のではなく、「どのように子育てを
すれば健康(幸福)になれるのか」
「いい方法で健康になれば健康(幸福)になれる」のではなく、「どのように健康に向かいあえば健康(幸福)になれるのか」家族、仕事、お金、セックスにも同じように言えます。

自分のスタイル(やり方)こそが問題なのです。いい恋愛/結婚がいい子育てになることはありません。いい子育てがお金を貯めることにはなりません。いい恋愛をすることが、いい仕事をする力にはならないことを意味しています。

しかし、いい恋愛をするスキルがあれば、いい仕事をするスキルになることはあります。

自分のスタイル(やり方)が、幸福の因果要因(恋愛/結婚、子育て、家族、仕事、お金、セックス、健康に蔓延していなければならないのです。

つまり、企業活動で言うコンセプトが、自分のスタイル(やり方)であり、自分のポリシーなのです。長期の健康、つまり、幸福の柱を実現するためには、企業がコンセプトにトライするように、自分のポリシーを目的にするべきなのです。

私たちは本当にスキルに関心を持ち、少なくてもファッションや化粧並みに、自分の行き方(やり方、スタイル)に関心を持っているでしょうか?
あなたは利益さえ出れば何をしてもいいと考える企業をどう考えますか?それと同じように幸福ならなんでもいいといった生き方に暴走している人もいるのです。

もし不健全なポリシーだとしたら健康は破綻します。ポリシーを実現するには、因果要因のずべてに同じポリシーが宿っていて、串刺し状態にならないと、ポリシーは実現できません。因果要因のひとつ、ひとつを同じポリシーで丁寧に仕上げていかないと、ポリシーを実現できず、「自分」はバラバラに空中分解してアイデンティティを失います。自分は何者か、自分の目的は何か、自分が何で幸福を感じるのか、分らなくなってしまいます。

「幸福になる因果要因の串刺し」が幸福のキーワードです。

自分の周囲に存在している、あらゆる技術が向上するほど、自分に力を与えてくれるように錯覚する危険を孕んでいます。ポリシーが情報からの借り物になるばかりで、自分の力を失うことになっている場合も少なくありません。

人間のプロとアマの違い

人は誰でも一生懸命にやっていると思いたいものです。しかしカタルシスになっても、だからどうしたという話しでしかありません。なぜなら、みんな一生懸命だからです。
遊び人だってツボにハマった時には一生懸命になり力を発揮します。大多数と変わらない。ツボの範囲が狭いだけで、一般が違うのはツボに入らない仕事との付き合い方が露骨でないだけです。

金のないものなら、どんな職業でも、みんな命がけで一生懸命になっています。だから命がけでやっても、大差はつかないものです。出し抜いたものは、決まって人と違うことをしています。頭と体を使って出し抜く。それが心のありようになるのです。

言うのは簡単ですが、人の真似している限り、安全だと思い込んでいる者にはその真似ができません。みんながやっていることを真似しているだけでは消耗するだけですが、それは気にならないようです。そこでたいして面白くないことが蔓延して、ツボにハマらないことが目立つようになります。商売する側はモチベーションを下げたままで一生懸命で、買う側は心動かすものを探し続けます。ミスマッチが多いほどハマッた時のインパクトが大きいのは当然です。

ツボにハマった者、ハマらないものがが共存するので、どんな世界にも、アマチュアとプロフェッショナルがいます。ツボを作ってやるのがプロフェッショナルであり、一般にアマチュアとは指示を受けて仕事をする者、プロフェッショナルは指示を出す立場にある者、管理者、マネジャーがそうです。指示を出すだけでなく達成できるようにサポートできることが条件に含まれます。リーダーは少し次元が違い、
リーダーとは、まだ遭遇したことのない世界に連れていってやれる者です。

アマチュアは、生活がかかっていない人、あるいは敏感になる必要のない人のことで、プロはそこが違います。プロはずっとそれで飯を食う。誰でも知っていることですが、給料もらって生活していると、生活感とプロ意識が乖離してしまう。プロには生活と能力の2つの側面があって、深い因果関係があります。その因果を深めているのが目的意識ですが、乖離してしまうと曖昧になります。生きてさえいたらいいのか、儲けてさえいたらいいのか、そこのところの問題に行きつきます。

どんな世界にも競争があります。本当に競争が厳しい世界であるほど、この違いは鮮明で、決定的な要因になります。
アマは、その場さえうまくいくとしめたと思います。プロには、考えられない発想です。言い方を変えると細く長くがプロの発想です。それで飯を食っているからです。たまたまでは困るのです。次も同じように出来ないと使い物にならないのです。だから結果主義を嫌い成果プロセス主義を尊びます。ところが、アマは太く短くてもいい。だから目先しかない。結果主義でもOKなのです。プロは大局的なので「損して得とれ」と考えることができます。アマには出来ない発想です。この大局観の核になっているのが、目的のありようなのです。

目的と目標はよく混同されますが違います。目的は抽象的ですが、目的を具体化したのが目標で一般的には数値目標がそうです。

人はとかく表面化した現象で評価しますが、現象はモノサシになりません。先に言ったようにアテにならないことは論外なのです。プロはアテにならないことに右往左往していられません。なぜならプロは自分にできることを高めていくことが命綱です。

しかしそれでは不十分で、さらに自分にしかできないことにこだわり磨きをかけます。これがプロの条件だといえるものですが、その一途を支えるのが人としての目的なのです。目的がないとそんなエネルギーは、どこからも湧いてこないのです。プロは終わりにない長距離競争のようです。アマにはそれが分りませんので目的を軽視します。目標だけを追いかけます。短距離競争のようです。

アマからプロになるには自分にしかできないことを磨く覚悟がいります。他者ができることをしているだけでは必要とされないからです。どんな世界にも主役と脇役というように役割分担があって、それぞれの役割が必要とされるように、プロは自分にしかできない技術を磨いています。

それを支えているのが、何度も言いますが、人としての目的で、そのありようは目に見えません。だからアマはプロを自分より優れた人程度に見ていますが、「あり方」「考え方」「やり方」と幾重にも違うのです。

競争に於ける差別化は、プロだから差別化できるのでなく、差別化できるからプロになれるのです。差別化できるのは自分にも他者にも明快な目的があるからです。働いていたらいい、儲けていたらいいという発想しかないものに、差別化はできないので、ずっとアマのままなのです。

さて、ここから核心に入っていきますので注意してくださいね。
自分のレベルが上がらないと対戦相手、競争相手もアマのままです。レベルの違う者と対戦はできません。どんな世界でも同じで、自分のレベルがあがると相手のレベルもあがりますが、比例して苦しくなるのは当り前です。それが自分のパワーアップになりますが限界になることもあります。

これは相撲の世界では如実にでます。相手のレベルが上がると、これまでのようには勝てなくなります。より上の相手に勝つにはそれ相応の力をつけていないと相手になりません。相応の力を養うことが義務化されます。目標設定と同じ仕組みです。
達成しやすいように低め、低めに設定していたら成長しませんが、長く飯を食う必要のない者にはそれでいいことになります。

「損して得とれ」を文字通りに解釈する人がいますが、それは読み違いだと思います。人間にはできることとできないことがあります。出来ないことにいくら精力を注ぎ込んでも出来ません。「損して得とれ」とは”自分が出来ることに命がけの力を発揮する。”そういう意味だと解釈しています。

できないことをいくら努力しても無理なのです。してもらわないと困ることがあるし、してもらっては困る努力もあるということです。する程尊敬される努力もあれば、する程軽蔑されることもあります。するほど、バカと思われることもあります。そこのところを誰れの腑にも落とせるのが、プロフェッショナルなのです。つまり原理原則、道理に合わないことをしないのがプロなのです。プロはそれで生計を立てているからバカなことをしないのです。自分がコントロールできることをするしかないので、他力本願に背を向けます。これは俗に言う能力以上のことをしないという意味ではありません。自分の能力は努力で向上させることができます。

ここが肝心なのでしっかり受け止めて欲しいのですが、自分にできることしかやらないということは、自分の努力が及ぶことしかしないということなのです。でもアマはやります。それで生きていこうと思っていないので、時間を自分のできないことに使っていても気にならない。他力本願でも気にならない。

たとえば恋愛の悩みはその典型で、相手が自分の思い通りにならないということに悩みます。丁半博打で自分が想像した目が出る方法を教えてくれというのと同じようなものです。考えても仕方のないことを身も細るほどに悩みますが、これなんかはそれで飯食っているわけではないからできることで、もし恋愛で飯食ってたら、そんな人もいないけれど、考えても仕方のないことは気にしないでしょう。運任せで生きていけないからです。

自分にできることで、実際の解決策を言うなら、結論はひとつしかありません。相手があなたでないとどうしてもダメだと思い続けるようにするしかありません。相手好みの他の誰れとも違う自分になるしかないのです。そこで次のような問題が起こります。


  • 相手好みの自分になれない=主体性を失う
  • 相手好みの自分になれない=能力がない
  • 相手好みの自分になりたくない=従属的になりたくない


しかも、従属的になると、逆にウザいと蔑まれる。反対に主体性を維持すれば、傲慢と嫌われる。能力が乏しいと蔑視される。相手が立つか、自分が立つかと競争的な関係になりかねません。自分にできるもっとも適切なことは、主体性を失わずに、能力を高め、協調性のある自分になることです。それでも相手が気に入ってくれない場合はお互いを尊重して別れられることです。いい女はそれができる女で、人間としてプロなのです。恋愛の前に自分の暮らしがきちんとできることが必須なのです。ライフスキルの力が大きいのです。

ところが悩む女も男も、神様にでもなる勢いで、できないことに意識が集中しています。逆に自分にできることに無関心です。相手に翻弄される態度を甘受できるのは、アマチュアだからです。暮らしがぶっとんでる。恋愛が成就しても生活が破綻する可能性があります。そんなことしていたら孫の世代までおかしくなります。

しかも、今日は機嫌がいいか、悪いか、相手を伺いながら、一生、パートナーとの間で丁半博打みたいな関係を続けるつもりなのか、本人にはそういうつもりはなくても、可能性は低くはありません。笑い事ではない夫婦関係は思う以上に少なくないのです。つまりもともと真剣に仲のいい夫婦を続けて行こうという気がないか、不勉強だということなのです。いくら若くてもそれは無謀というものです。どちらかが破綻したら連れ合いは破綻した側に引っ張られます。

不勉強でもなんとかなると思っているのは、すでに不真面目ということで、本気ではないのでアマチュアだし、アマチュアの生き方しかできないのです。すでに見たような気がする世界をなぞる気迫に欠けた生き方をすることになります。

アマチュアがギャンブルに手を出すと、賽の目ばかりに気をとられます。恋愛の悩みと同じで彼は私を好いているか、どうか?うまくいくかどうか?と自分がコントロールできない考えても仕方のないことを考え続けるのと同じです。
奇数、偶数を当てる丁半博打の勝ち負けの確率は50%ですが、張り方で確率が変わると思い込んでいるので、どちらが出るかを必死で考えようとします。たとえば5戦したとして奇数、奇数、偶数、奇数、偶数なら奇数3回、偶数2回で、奇数が1回多い。そこをうまく読み当てると1回多い分勝ちになる。反対なら1回負けになる。これを張り方の違いと考えているようですが、偶然を重ねただけのことで、プロなら、これを張り方とは考えません。

自分でコントロールできない奇数、偶数はどうでもいいことなのです。どんなギャンブルも同じで、張り方とは張る金の動かし方なのです。1000円.1000円と張って、2回とも当らず2000円の損、三回目に3000円張って、当ると前2回の2000円の損を取りもどして1000円の勝ち。ギャンブルで自分がコントロールできる部分はこの部分だけで、損をしないことが、飯を食わなければならないプロの鉄則なのです。野球でも相撲でも同じで、通算で負けないことが鉄則で、だから負けないスタイルを確立していることがとっても重要なのです。

人間は生きていかなければならない。「ならない」というのは変かも知れませんが死んでしまうには、もったいないほど、面白いことがいっぱいあります。生きるとは、継続することで、どんなに小さな会社だって”Going Concern”といって無期限に事業を継続することを前提にした経営をすることが決まりになっています。だから赤字を出すわけにはいかないのです。人間も同じで、どうにもできないことに翻弄されて破壊するわけにはいかないのです。自分をコントロールするのは、能力の問題ではなく責任なのです。だから震災に遭った方々がどれだけ大変なのかお分かりいただけると思います。

だから願いが叶わないくらいなら死んだほうがマシだという位の覚悟があってもいいと思います。死に物狂いは悪いことではない。但し、自分にできることでないと意味がありません。自分でコントロールできない問題で、実現しないなら死んだほうがマシだというのは、どう考えても何の意味もありません。周囲を巻き添えにするだけで、意味不明な分、呆れるしかありません。

感情の洪水に流され右往左往するのではなく、必要なスキルを身につけると同時に自分にできること、さらに自分にしかできないことに精を出して、人間のプロとしてかけがえのない人生に仕上げていくことを楽しみたいものです。働きがいのある活気ある仕事はそのプロセスにあります。

自分にできること、さらに自分にしかできないことに精を出すにはどうしたらいいのか。そこで、目的、目標から逆算して導きだした因果関係を丁寧に創り上げていき、決して目的が破綻するような要因を作らないことが肝心です。

物事は何か決定的なひとつの要因で決まるわけではなく、いくつかの要因で決まっています。結果には必ず原因があるわけですから問題を引き起こすような原因を先に取り除いておけばいいのです。ようするに危機管理の話ですが、もっとポジティブに先に先に打って出て、計画、目標よりもっと先に出て戦略にしてしまうのです。戦略も、目標も、計画も、目標管理、危機管理も中味は同じで、どのタイミングでやるかで呼び名が違うようなものです。最初から最後までやり続けたらいいことで、最初がしっかりしていないから、中味が変わってくるだけのことなのです。

因果関係のことは次にお話しします

2011年5月16日月曜日

ライフスキル講座のこと

 東日本大震災が語るように、人は決して一人では回復できるものではありません。
とかくほとんどの人は、自助努力を志しますが、読むことだけに終始して、読むことで終わる場合もありうることを知っておいてください。

決してそうしないために、大事なことがあります。

自分の人生は自分しか生きることができません。
本当の意味で自分の人生を生きるということを、ただ考えたり学んだりするだけではなく、時にはつらくても別の生き方をしてみる必要があることを指摘しておかねばなりません。

ほとんどの人には、感情に突き動かされ、それが大変だと思う気持ちがあることも確かです。
「変わりたい、しかし変わるのはイヤだ。」と思う感情はただ結果だけを変えたいという願望でしかないことを知っておいてください。

人間は「変えられること」しか「変えられない」
変えられることと、変えられないことがあります。それが現実です。
それを認識して変えられることを変えていくようにしないとストレスが溜まる一方になります。

ストレスをマネジメントできない人、つまり頑張れない人、頑張りすぎる人は、変えられえるものがなにかを知らないのです。コミュニケーションがうまくできない人もそうです。

ライフスキルは「自分を知る」ことが出発点です。
ライフスキルのひとつであり、基盤となる「自己認識スキル」が乏しいのは、「できない自分」「がんばれなかった自分」を認識することができずに、相手や周囲の人を責めるからです。

自分の不足を認めることが辛いのは、自分を責めるからです。自分を責めることも、他者を責めることもないのです。
「自分を知る」ことは責めることではなく、ただ「知る」ことです。

知らないと変えることができないから、知るようにするのです。
それを他者のせいにして責めても、他者が変わるわけではありません。
同じように、自分を責めても、自分が変わるわけではありません。

感情的な人は、この重要な点が分っていないから、不安になり感情的になり攻め立てます。

自分自身と限界を受け止めて、どこをどのように変えればいいのか、つまり「反省」がリスタートの始まりです。

「自分の限界」を超え、「変えられないもの」を無理やり変えようとするのは、がんばりでもなんでもなく、妄想や執着でしかありません。自分の「限界」を理解した上で、今の自分にできることを、集中して考え、行動できると事態は変わります。それがライフスキルの要です。

限界を越えて頑張ろうとする人は、ストレスにつぶされてしまい、ますます感情的になり、自分と自分の一生を台無しにしてしまいます。そんなことのないようにしたいものです。

それにしても、このライフスキル講座は「あなた」のためのものだということを十分に頭に入れておいてください。あなたの親、夫や妻、恋人、子ども、上司、部下、隣人・・・のための講座ではないのです。

この講座は、「あなた」独自の経験です。あなた自身が自分の人生を歩むことです。やがて、怒り、嫉妬、不平や愚痴から離れて、あなたが自分の経験が他の人々に大きく役立っていると心から率直に思えるときに、あなたの人生を歩んでいる状態にあると言えるようになるでしょう。

2011年3月5日土曜日

万能感とその克服




万能感は自分で生きていけないこどもが親の保護を誤解することで生じます。
保護者の保護的な気持ちから生じる行動を、自分を主体にして自分の力であると錯覚してしまうことから始まります。これ自体はとても自然なことで特に問題はありません。

やがて万能感は、家族生活さらに団体生活を体験しながら、ゆっくり排他していくものですが、それに失敗してしまうことが多々あります。
その原因をいまさら云々しても解決の対策にもならず、時間のムダですのでおすすめしません。


「なんでも思う通りになる」・・・これが万能感です。
こどもがギャギャーないているのは、保護者を自分の思い通りにさせようとするからです。言葉が使えるようになると、さすがに親も従いません。この態度を、親がたしなめるようになると、今度は「ラケット」という行為を使います。
「ラケット」とは、ふくれる、悲しそうにするなど、工夫した態度をとることで、他人(特に心理的に身近な人)をコントロールすることです。
これらは万能感から生じる典型的な行動で、うまく成功して、味をしめるほど継続して使うようになります。

しかし、この万能感はいいことばかりではありません。危険な落とし穴があります。
なんでも自分の思う通りになるとは、裏返せば、ずべて自分の責任に感じるということです。つまり過剰な支配性は過剰な責任性と表裏一体なのです。

「おまえがそんなことをしなかったら、こんなことになっていない」
このひとことは、過剰な責任性を持ったものにはナイフのように届きます。

成長と共に、支配性は弱まる一方ですが、過剰な責任性はどんどん発展します。
オセロゲームで、自分の駒が相手の色に変わるような状況です。
この「過剰な責任性」が混乱を引き起こします。
たとえば、「じぶんがいい子だったら、親は離婚しなかった」というような感じ方をします。
実際には、離婚はこどもの存在が原因ではありませんが、こどもは万能感を持っているので、そう感じます。
離婚するときに親はそこまで考えないものですが、片親がいなくなって寂しいだろうというレベルを超えて幼い心に深い傷を与えることになります。

こどもは責任をとることに過剰に敏感になり、勇気をくじき、責任からの逃避が習慣化します。
成長とともに、人間関係も多様になりますが、家族内だったこの態度がすべての人間関係に広がります。
つまり「自立できない自分」を根拠もないままに「生きる構え」を確立してしまいます。

「過剰な支配性と過剰な責任性」を同時に持ち合わせて、社会にデビューすると、人間関係はとても疲れるものになります。
そもそも人は孤独に弱いものです。そこでぬくもりを求めながら、避けようとすると、自分でもどうしていいのか分からないわけですから、相手も困惑します。

この状態に対応できる人は3種類です。

・原理を理解した上で自分が確立できていて、揺らがない人(分かった上で受容)
・同じタイプ(分からないまま波長が合う)
・気のいい人(分からないまま受容、但し限界がある)

このうち、恋愛、結婚相手になる確率の高いのは<同じタイプ>です。その関係性は、子育てに反映されます。

万能感の影響を受けた現象には、次のようなものがあります。

・「すべてか無か」「イエスかノーか」「白か黒か」
・感情即行動
・不安に弱い、不安の正体は不信
・人の境界が曖昧
・相手をコントロールする

これら重大な誤解には「過剰な責任性」があります。
大人の社会に持ち込んでしまうと、人間関係の誤解に発展して、次のような態度になって表出するようになります。

・「じぶんに必要なことは他人の重荷になる」という誤解
・したがって、自分の欲求に罪悪感を持つようになる
・するべきこととしなくていいこと、絶えるべきことと耐えなくていいことが混乱
・罪の意識を持ちながら欲求を満たそうとするので、率直、誠実でなくなる
・自分の能力を低く評価するので自己責任で行動することの不安になる
・こども時代の硬直した過去のパターンを大人の世界に持ち込む
・相手をコントロールをしょうとする
・コントロールによって相手の責任で行動させようとする
・罪の意識がない場合には依存的になる(コントロールで感じることが反転)
・自分の重要な人間関係で障害が生じる
・必要、世話を焼いてもらうことと愛情を混同する(境界の混乱が生じる)
・権利の認識に困難が起こり、人間関係の難易度が高くなる
・不安から心を閉ざし混乱した行動をとる、
・現状を現実を否認する
・結果が明らかになる段階では、自分が否定されないように予防線を張る。

このように、誤解から生じた罪悪感は不安を誘いますが、それでも、こども時代に役立った無意識の古いパターンに固執するため、自分を幸福から遠ざける作用しかない行動を連鎖的に重ねます。
大人になったいまではある特定の人との間で通用するだけで、全般には障害になるだけです。
その不満がアンビバレンツ(相反する)な感情を持つことになり、ストレスに振り回され、自分の気持ちを自分で収拾できなくなります。
さらに相手との関係では、自分へのあり方が反転して、次のようなことが起こります。

・「自分の欲求は相手の重荷」は裏返せば「相手の欲求は自分の重荷になる」
・不安から深い人間関係を避けようとする
・交流を求めながら、相手の欲求に不安を持つのでアンビバレンツになる
・ギブ&テイクが苦手になる
・「間違ったギブ&ギブ」か、「テイク&テイク」の依存的な関係になる。

この自分や相手とのプロセスを見ても分かるように、その間の心理的なプレッシャーは相当です。ある人には、簡単なことが、命懸けのような心理的負担の上での行動になります。
ガスコンロのスイッチを押せばお湯が沸かせますが、万能感を持って行動していると、山に木を伐採に出かけて、薪でお湯を沸かしているようなものです。
ものすごいエネルギーが使われることになり、必要なことに自分を使うエネルギーが残っていないような状態になります。
この解決方法は、なにより「誤解を正すことです」
誤解を正すには、次のように考えましょう。

まず、過去のパターン、やり方をいきなり投げ出そうとしないことです。
このクルマは使い物ならないというわけにはいきません。この世界にたったひとりしかいない「あなた」という価値あるもの。故障した「大事なビンテージなクルマ」を修理する要領です。
壊れている原因はクルマに欠陥があったのではなく、使い方が悪かったからです。

だから、使い方を理解しながら、不具合箇所をひとつずつ変えていきます。
つまり、本来の自分に回復させるのです。誤解を正すには、手順があります。
まず「知る」「理解する」ことです。

・行動に間違いがあるが、人格が劣っているわけではない。
・基本的な人権、自分と他者は別の人格を認識する
・人間関係はギブ&テイク(おすすめはギブ&ギブ*別の機会に説明)だと知る
・コントロールはこども(弱者)のテクニック
・コントロールは依存的な関係しか作らない
・じぶんへの不信、他者への不信がある
・感情に対する誤解を正す
・感情を抑圧することは自分にも周囲の人にも不幸、不快しかうまない
・感情即行動は自分にも周囲の人にも不幸、不快しかうまない

次に行動を起こします。

・自分の欲求は言葉で伝える
・人間関係はギブ&テイクを実行する
・コントロールを放棄する
・感情を抑圧しないで、感情を率直に言葉で伝える。
・自分の意見を率直に言葉で伝える。
・この混乱を解消するには「境界」つまり「基本的な人権」を尊重する
・予期せぬことが起こっていても感情意的にならず冷静に対処する

このプロセスで注意してほしいことがあります。
・過去の問題を処理する必要はない、過去の痛みを掘り起こす必要はない

実行段階では、自分のスタイルの確立に向けて、ゲンキポリタンが推奨している「ゴールデンルール」を使って、自分の目的、やりたいことに取り組むようにします。ゴールデンルールとは、積極的に取り入れる自分の行動基準(スタンダード)です。
この場合、誤解を正せないまま取り組むと、とても苦しく感じるので続きません。でもその苦しさが測定のバロメータになります。
上手に使うことで、本来の自分に回復させることができますので、放り出さずにひとつひとつを修復しながら継続しましょう。