2010年4月7日水曜日

境界を大事にする理由とは?



たとえば、職場で上司の機嫌が悪いとき。
「課長、なんだか今日は機嫌が悪そうだな、なんかあったのかな」とあなたが思えば、
「今日の課長、えらく荒れているようだな。昨日ボクがクレーム出したのが原因かな、困ったな、また叱られるかな」と同僚は考える。

同じ場面でも、人それぞれに感じ方が違います。
コップ半分の水を見て、「もう半分しかない」と考える人、「あと半分ある」と考える人。有名な「半分のコップの水」の話と同じで、同じものを見ても感じ方が違います。

つまり、物事に絶対的な「事実」があるわけではなく、私たちが個人的に、あるいは誰かの影響を受けて意味付けしているのにすぎないのです。それにしても特有のもので、たとえば国が変わればまるで違う判断になることも珍しくありません。

たとえば「クジラ」に対する考え方の違いはいい事例です。解釈が違うだけでなく、食文化でとらえる日本、生き物としての能力の高さでとらえる諸外国というように見ている立場が根本的に違います。出来串に対して肯定的に受けとめる人がいれば、否定的に受け止める人がいます。つまり私たちは、あるがままに見ているのではなく、自分の色眼鏡を通して見ているのです。

このどうしょうもない事実を受け入れなければ、公平なコミュニケーションはできないと考えるのが良いコミュニケーションをする前提になります。

基本的に、自分の感じていることは自分だけのものなのです。他者が感じていることは他者だけのものなのです。つまり感じ方の違いは、人と人の間に境界があることを語っています。だから私もよし、あなたもよし、お互いに自分の考え方を大事にしましょう。と互いの領域を認め合います。

さて、ここでひとつ間違うと、私は私、あなたはあなた。お互い好きにしましょう。になります。それは冷たいですね。「私もよし、あなたもよし、」とは、「私は私を大事にするけど、あなたのことも私の事のように大事にします」ということでないとつまらないですね。意見の違いはあるけれど、だからといって私はあなたに対して率直、誠実、対等に、責任を持って自分の意見はアサーティブに伝えますね。あなたも同じようにアサーティブに言ってくださいね。参考にしますね。と言う事の方が楽しいしうれしい。自分のことのように心配してくれる友人はありがたいものです。

それは支配ではありません。私が心配しているのに私のいうことを聞かないのは許せないとなると支配です。

どんなに心配しても相手にはなれない。その切なさがあるから、自分のように心配する気持ちを大切にしたいですね。

私はここまで、ここから先はあなただけの世界。だから精一杯応援していますね。
境界線に立って、手を振る。

2010年4月4日日曜日

アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは同じ苦しみを味わっているのか?



「アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは同じ苦しみを味わっているのか?」とよく訊かれます。
自分はひどくおどおどしている。自分でもいやです。
自分はひどく変わっている気がする。自信を持って話せない、行動できない。・・・・・同じ現象に苦しんでいる人はたくさんいます。しかし、現象は共通したものではなく様々です。
その一方で、アルコール依存症者の親のもとで育ったこどもの体験を話すと、「自分のことのように聞こえます」と言います。特に人間関係では、似たような悩みのご相談を数多く受けます。そしてその苦しみに共感します。ほとんどの人が心理的に共通した体験を持っていて、同じような不安と恐れを持っています。

だからと言って同じ体験をしているわけではありません。不思議とも言えるその理由には、いくつかの要因があります。

・親のアルコール依存症が発症したときのこどもの年齢が違う
・両親ともアルコール依存症なのか
・片親だけの場合、父親か、母親のどちらがアルコール依存症者なのか
・家族の子供の人数と誕生した順番
・配偶者自身(共アルコール依存症)の回復のための努力の度合い
・身近にサポートする人がいるか
・身体的な虐待があるか
・性的虐待があるか
・家族の社会的な地位
・家族の経済力

同じ家族であっても、すべての子供が同じように影響を受けるわけではないので、その反応のバラバラ。例えば、ある子供はアルコール依存症の状態をはっきりと見て身体的な虐待を体験しているかもしれない。しかし他の子は体験が乏しく記憶にないかも知れない。すると兄弟で親のイメージが違うことが起こってきます。
同じことは親にも言えるわけで、親の立場になれば、同じように育てたと思い込んでいます。しかしそんなことはないのです。

子供たちは状況に適応するために、それぞれに子供独自の方法を見つけ出しているのは珍しいことではありません。兄弟でもある子だけが特別に強い反応を示していることもあります。
しかし個々に違いがある一方で、アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは全体に共通して、情緒障害を起こし、自己否定感が強く不信感を持っています。

アルコール依存症者の子供たちが引き受けた大人の役割とは?




アルコール依存症者のほとんどの子供たちは、大人の役割を引き受けます。主な大人の役割には3つあります。

・責任をとる役割
・順応する役割
・慰める役割

責任をとる役割を引き受けるのは、主に長男・長女、一人っ子です。混乱する家族の中心にいて、積極的に家族をケアする」責任を引き受けます。その具体的な内容はほとんど「配偶者」の行うことのすべてです。しかも学校にも適応して成績も優秀な場合が少なくありません。子供らしく遊ぶこともこなします。家族の柱と子供を使い分け、社会的にも自分をコントロールする力を持っています。まさしく子供でありながら、大人の役割をこなしています。

順応する役割は、安定を保つために、なにが起こっていても、無視するというものです。どんな環境、状況にも超然とすることで適応します。
体の色や形を周りの環境によって変化させる生き物のように、うまく適合して誰からも注目されるようなことはしません。しかしなにごとについてもうまくやりきってしまいます。
順応する秘訣は、敵を作らず自分の要求を持とうとしない点にあります。順応することを最優先するので、自分が主体的に影響を与えることはできないと、ほとんど無意識に思い込んでいます。人への配慮、状況を察知する能力は高く、八方美人と受け取られることがあります。


慰め役は、もめごとを解決して処理する点で長けています。アルコールに支配され、モノが飛び壊れ、悲鳴があがり混乱する家庭内の状態を想像してください。慰め役はいまナニが起こっているのかを察知し、状態がそれ以上悪化するのを防止して、沈静化します。日常的にくり返される緊張と混乱のなかで身につけた才能なのです。

・責任をとる役割
・順応する役割
・慰める役割

それにしても子供たちは、なぜこのような役割を自主的に引き受けるのでしょうか?これらは、混乱の真っただ中で身につけた生きる知恵なのです。しかしそれ以前の問題があります。家庭に生じた混乱が自分のせいだと思い込んでいるのです。その引き金になっているのが万能感です。親を操作する力である万能感は裏返せば「自分のせい」になります。自分がいい子にしていたら混乱は治まると考えるのです。

必死にサポートする事で、大好きな親に変身すると信じて役割を引き受けます。そして役割をこなす内に才能になります。この才能と引換に無邪気な子供の心を失ってしまったアルコール依存症者の子供たちの無念を、大人になってから取り戻す事は大切なことなのです。