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2010年4月4日日曜日

アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは同じ苦しみを味わっているのか?



「アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは同じ苦しみを味わっているのか?」とよく訊かれます。
自分はひどくおどおどしている。自分でもいやです。
自分はひどく変わっている気がする。自信を持って話せない、行動できない。・・・・・同じ現象に苦しんでいる人はたくさんいます。しかし、現象は共通したものではなく様々です。
その一方で、アルコール依存症者の親のもとで育ったこどもの体験を話すと、「自分のことのように聞こえます」と言います。特に人間関係では、似たような悩みのご相談を数多く受けます。そしてその苦しみに共感します。ほとんどの人が心理的に共通した体験を持っていて、同じような不安と恐れを持っています。

だからと言って同じ体験をしているわけではありません。不思議とも言えるその理由には、いくつかの要因があります。

・親のアルコール依存症が発症したときのこどもの年齢が違う
・両親ともアルコール依存症なのか
・片親だけの場合、父親か、母親のどちらがアルコール依存症者なのか
・家族の子供の人数と誕生した順番
・配偶者自身(共アルコール依存症)の回復のための努力の度合い
・身近にサポートする人がいるか
・身体的な虐待があるか
・性的虐待があるか
・家族の社会的な地位
・家族の経済力

同じ家族であっても、すべての子供が同じように影響を受けるわけではないので、その反応のバラバラ。例えば、ある子供はアルコール依存症の状態をはっきりと見て身体的な虐待を体験しているかもしれない。しかし他の子は体験が乏しく記憶にないかも知れない。すると兄弟で親のイメージが違うことが起こってきます。
同じことは親にも言えるわけで、親の立場になれば、同じように育てたと思い込んでいます。しかしそんなことはないのです。

子供たちは状況に適応するために、それぞれに子供独自の方法を見つけ出しているのは珍しいことではありません。兄弟でもある子だけが特別に強い反応を示していることもあります。
しかし個々に違いがある一方で、アルコール依存症の親を持つ成人した子供たちは全体に共通して、情緒障害を起こし、自己否定感が強く不信感を持っています。

アルコール依存症者の子供たちが引き受けた大人の役割とは?




アルコール依存症者のほとんどの子供たちは、大人の役割を引き受けます。主な大人の役割には3つあります。

・責任をとる役割
・順応する役割
・慰める役割

責任をとる役割を引き受けるのは、主に長男・長女、一人っ子です。混乱する家族の中心にいて、積極的に家族をケアする」責任を引き受けます。その具体的な内容はほとんど「配偶者」の行うことのすべてです。しかも学校にも適応して成績も優秀な場合が少なくありません。子供らしく遊ぶこともこなします。家族の柱と子供を使い分け、社会的にも自分をコントロールする力を持っています。まさしく子供でありながら、大人の役割をこなしています。

順応する役割は、安定を保つために、なにが起こっていても、無視するというものです。どんな環境、状況にも超然とすることで適応します。
体の色や形を周りの環境によって変化させる生き物のように、うまく適合して誰からも注目されるようなことはしません。しかしなにごとについてもうまくやりきってしまいます。
順応する秘訣は、敵を作らず自分の要求を持とうとしない点にあります。順応することを最優先するので、自分が主体的に影響を与えることはできないと、ほとんど無意識に思い込んでいます。人への配慮、状況を察知する能力は高く、八方美人と受け取られることがあります。


慰め役は、もめごとを解決して処理する点で長けています。アルコールに支配され、モノが飛び壊れ、悲鳴があがり混乱する家庭内の状態を想像してください。慰め役はいまナニが起こっているのかを察知し、状態がそれ以上悪化するのを防止して、沈静化します。日常的にくり返される緊張と混乱のなかで身につけた才能なのです。

・責任をとる役割
・順応する役割
・慰める役割

それにしても子供たちは、なぜこのような役割を自主的に引き受けるのでしょうか?これらは、混乱の真っただ中で身につけた生きる知恵なのです。しかしそれ以前の問題があります。家庭に生じた混乱が自分のせいだと思い込んでいるのです。その引き金になっているのが万能感です。親を操作する力である万能感は裏返せば「自分のせい」になります。自分がいい子にしていたら混乱は治まると考えるのです。

必死にサポートする事で、大好きな親に変身すると信じて役割を引き受けます。そして役割をこなす内に才能になります。この才能と引換に無邪気な子供の心を失ってしまったアルコール依存症者の子供たちの無念を、大人になってから取り戻す事は大切なことなのです。

2010年3月28日日曜日

アルコール依存症者の子供たちには、こどもの時代がなかった?




人間には3つの心、「親の心」「大人の心」「子供の心」があります。
「親の心」には厳格な心と保護的な心、つまり父親的なもの、母親的なものがあります。「子供の心」にも従順な心と無邪気な心があります。これらの心は主に家庭で育まれていきます。

 健全な家族では5つの心が、一貫性のあるルールと仕組みのなかで育まれます。
一貫性のあるルールと仕組みがあるのは健全な家族の特長ですが、欠落している家族があります。アルコール依存症の人が存在する家族です。この種の家族に育てられた子供には、無邪気さの不足が目立ちます。

 彼女らは幼いときから、”子供”として過ごした時間が少ないので、無邪気な経験が失ってしまったのです。
同級生が学校から帰ったら遊びに行こうと誘います。しかし彼女にはもっと重要なことがあります。家に帰って点検して今夜の予定と気の持ち方を決めなければならないのです。

アルコールの瓶がどこにどんな状態で置いてあるのか、注目の人はしらふか、誰がいて、誰がいないのか、妹の世話をするのは誰か、夕飯の支度をするのは誰か。彼女は点検した上で、自分の行動と気持ちを決める必要があります。無邪気さを体験する代わりに親あるいは大人を体験します。自分に対して自ら厳格を要求し、対外的には嘘をつくことで自分を保護することを憶えます。

 彼女は混乱した部屋の扉を閉めて、こういいます。
  「万事順調、なにごとも起こっていない」

彼女は責任を全うしたことに安心します。いまなにが起こっているのか、すべてを把握することに忙しく、なにが起こっても上手に切り抜けるスキルを身に付けていきます。一緒に暮らす大人よりも、はるかに大人らしくふるまい、親よりも上右に保護します。

自分さえしっかりしていたら、アルコールの瓶は増えない。親は近づいても安心な存在でいてくれる。他者の責任まで自分の責任として受け止めて責任の領域は広範囲に及びます。

親が自分と本当のゲームをして遊んで、親が最後まで続けて親が勝ってくれるようなら最高に楽しい時間だ。もし、親が負ける、最後まで続けない時は、楽しくないだけでなく、すでに危険な渦に巻き込まれたことを意味する。

 こうして「こども」を体験しないまま成長した彼女は、成人しても、自分の責任範囲を超えて自分の責任だと考える習慣を手放しません。ほとんどの場合、手放す理由も、手放し方も分からないままだからです。
同僚が黙っていると自分の責任だと感じ、上司がしかめ面をしていると自分の責任だと感じ、赤ん坊が泣いていると自分の責任だと感じ、パートナーが会話を好まないと自分は見捨てられたと絶望します。

結婚する前に仲睦まじく交際した期間、それは彼女が少しばかりの無邪気が許された期間。パートナーがテレビに見入っている姿は自分をかまわずに酔いつぶれていた親とだぶります。絶望の足音を感じながらも、「たいしたことはない、私さえ黙っていたらきっとうまくいく」と自分の願望を抑えます。
泣きじゃくるこどもとふたりきりになったとき、冷やかな空気が部屋中に漂います。「私にはこどもであった記憶が一度もない」
いや、そう言える人はまだマシなのかも知れない。考えることもない人もいるのだから。
孤立感のなかでさらに自分にムチを打ちます。親として責任を果たさないと・・・・もっと頑張らないと・・・・この子が泣いているのは、私の責任だ。焦りと責任感に追いかけられる。まるで責任に指名手配されているように感じます。
 彼女がすることは、うまくいっているように見せることではなく、サポートを求めることです。助けてほしいとサインを分からないように出すのではなく、分かるように出すことです。

「万事順調、なにごとも起こっていない」ではなく、
「私は完璧じゃない、大丈夫じゃない、私には助けがいる」と伝えることです。
それが「自立」なのです。「なれる最高の自分になる」方法なのです。
 家庭ではもちろん、どんな職業をしていても、子供の心を持っていることは必要です。子供の心がないとさわやかなコミュニケーションができないので、相手に負担を与えてしまいます。
人は死ぬまで、「親の心」「大人の心」「子供の心」を持ち続けるものなのです。
いまからでも、無所気なことを、童心に返ることを、アサーティブに、積極的にするようにしましょう。