2010年3月27日土曜日
アルコール依存症者の家族はナニがどう違う
アルコール依存症者を持った家族は、依存症者と同じように起こっている現実を見ようとしない特徴があります。依存症者も家族も同じように否認するので、子供も成長過程で現実を否認する習慣を身につけていきます。
否認するメリットは家族が不安の防衛です。破綻する恐怖を認識しなくて済むことです。家庭内で起こったことは公言しないことに始まって、一貫性がないこと、予測不可能であること、混乱していることが暗黙のルールとして家族に浸透します。家庭は理解や成長する場ではなくなります。否認するメリットは大きなデメリットに反転します。
前日の会話の内容が、今日になれば一転しているのは日常的になります。これはアルコールの影響であると共に人格が変化する2つの側面の結果です。
子供は約束をしてくれた親を慕い信頼しますが、翌日にはそのかけらすら味わうことができなくなり失望し落胆します。繰り返しやってくる失望を乗り越えるために、学んでいた「否認」を使って乗り越えます。期待しなければ、望まなければ傷つくことはないと考えるようになります。自分の願望を自ら認識しないように自分を躾けていきます。
その一方で、彼らは、隣あるいはどこかに完全な家庭があると信じます。不合理な比較をするようになり、「恥」を終始妄想することになります。何に対しても自信がなく、安全と認識した世界においてのみ、自己表現を試みます。「白か黒か」「すべてか無か」の極端な発想は、家族間のルールで培われています。
たとえばある物事について、父親がノーと言い、母親はイエスと言う。両者の間では、コミュニケーションが希薄な上、逆転は日常的なので、アルコール依存症者の家族では一貫した決め事ができない仕組みになっています。
子供は二つの相反するルールを持つので、混乱します。したいことができない、言いたいことが言えない。引き裂かれてしまいます。自分の願望とそれを否定した者の願望を受け入れてしまします。混乱が起こりますが、否認が習慣化しているので、本来の欲求を自分なりに無理な理由づけをして抑圧します。自分の欲求に気がつかなければ自分は傷つかないし、失望しないと考えるのです。こうしてますます自分の欲求がはっきりしなくなります。
他者とのコミュニケーションでは、壊れた堤防を越えて相手の欲求が入ってくるようになり、自分の欲求と相手の欲求が混在するようになってきます。この状況には親和性があり、自ら堤防を壊すことに抵抗を持たなくなります。
彼らは「白か黒か」「すべてか無か」の選択に安心し好みます。「中間」が苦手です。その理由は、これまでの説明で分かっていただけると思いますが、残念なことに現実的では機能的ではありません。
アルコール依存症者のいる家族の行動を正常、異常で判断することは正しくありません。そのような判断方法が改善のプロセスになることもありません。そのやり方は機能的かそうでないかで判断することが、回復のプロセスに欠かせません。
彼らは自分のやり方が正しいと信じています。事実自分や家族の身を守るための工夫に満ちています。ライオンの追いかけられた者が逃げ場を選ぶ余裕がなく、たまたま選んだ場所が危険な洞窟だったとして、それを異常と決め付けることはできないのです。
機能的な仕組みに変えていくとは、そこは危険だから安全な場所に移動しなさいということでしかないのです。
機能的な家族とは、なによりもまず役割が機能していることです。役割が機能することでふさわしい能力が求められます。父親は一家のリーダーとしての能力、母親には裏方としての能力、子供には子供にふさわしい能力がそれぞれ求められます。子供は食料の買い物や料理、家の雑用、車の移動などを期待されることはありません。親が負うべき責任を負うことはありません。子供は親でなく。親は子供ではありません。
それぞれが自分にふさわしい能力を身につけるように努力します。そのプロセスは一貫していて、子供は自分が愛されていると信じています。今日がそうであるように明日も同じと信じています。物事にどう対処しどのように責任を取るのかを教えられます。家族の一員として安心して努力できます。
家族それぞれの努力が問題を乗り越える能力の基礎になります、こうして家族は問題があっても乗り越える機能を持つように育っていきます。最初からすべてが機能しているわけでなく、機能するようにしていくのです。
機能的な家庭ではルールは明快単純で、問題があったときには柔軟に変更して、家族全員に浸透させます。ルールは自分勝手に気まぐれに毎日変わることも、時間毎に変わることもありません。子供たちは何を期待されているか分かっています。当たり前といえばそうですが、驚くべきことにこの仕組みは優秀な会社と全く同じです。
機能していない家族では、今日と明日は同じではなく、いつ暴力を受け捨てられるかも知れない恐怖があります。愛されていない恐怖が支配します。物事がコントロールできない不安に脅かされています。自分以上にうまくやれる人を発見できない孤立感が可能性を蝕みます、失敗は見捨てられる機会に思えます。繰り返し見捨てられ感を体験します。この体験が人生への勇気を食いつぶします。恐怖心を持ったまま社会に出て行きます。
彼らに必要なのは、機能回復です。安全な場所でチャレンジできる体験をすることで勇気を取り戻すことです。他者の願望のために生きるのではなく、自分の願望のために人生を使うために失った機能を取り戻すことです。誤った思い込みを知って、なにが必要でなにが不必要なのか、自分の人生のある場所に引っ越しするために能力の取捨選択する。回復は目標に取り組むと最初はゆっくり、やがて本当の自分にめざめます。
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