2010年12月26日日曜日

ネガティブイメージを強化するラケット

アンビバレンスに強い影響を与え、人間関係をこじらせるだけでなく、自己実現の妨害をしている正体「ラケット」についてお話しましょう。

幼児は無力な存在で、親、保護者の愛情と保護なしには生きていけません。切羽詰まった状況に置かれた幼児は、愛情と保護を得るためには愛想笑いもします。親、保護者が思う以上に彼らは不安を抱いているのです。

無力な幼児たちが自分の欲求を満たす手段として使うのが「ラケット」という手法です。「もしボクが悲しそうにしていると保護する立場にある人は、考えを改めて言うことを受け入れてくれるかも知れない」といった思いで使います。

親たちは、もう仕方がないね」という思いから、イライラしながらも欲求を満たす、代わりにやってやるなど、幼児の思いに応えます。不快な表情や態度は魔法のおまじないのような役割を果たすのです。

幼児はこれが武器になることを体験で学び、なかなか手放そうとしなくなります。
つまり困らせることで、願望は実現されることを憶えます。

この手法を成人しても使うようになります。困らせることは、自分にとって大切な人の気を引き、支配するを手段になると思い込んでいるのです。つまり甘えているのです。

しかし仲のいいカップルが甘えあうのは、お互いの無邪気な気持ちによるポジティブな性質のものですが、困らせて気を引く方法はネガティブな感情に支配されたマイナスの交流です。

異性への不信があると、第三者の異性に対して、執拗に愛情の確証を得るために、ラケットの手法を使い、マイナスの交流で見極めようとします。相手を責めながら気を引くというやり方、引き裂かれた相反する自己が同時に表面に出ることが繰り返し続くと相手は疲弊してきます。ストレスが高じて神経症の範囲に入ることもあります。心身の危機に直面すると相手は離別を選択するしか方法がないのです。

結局、見捨てられることになります。本人のアンビバレンスな状態のネガティブな面が反映されたものです。

このようなやり方には愛情の希求が潜んでいますが、「自傷行為」と同じ気の引き方です。ネガティブな感情に支配されたマイナスの交流と同じです。

よく考えたいのは、ひとつのことに、ポジティブな面とネガティブな面の両面が生じるというのは、ポジティブな面への希求が強いからです。そこに本当の自分が存在しているのです。それを>ネガティブな感情や考えで抑圧するから自分も相手もどうしていいのか分からなくなるのです。

誰でも不安があるので、ひとつのことでアンビバレンスな状態になります。不安に対峙することになりますが、自分の欲求を優先するように努めます。行動することで現実に身を置くことができます。

一方、自分のあり方に悩んでいる方は、ほとんどがアンビバレンスな状態に悩むばかりで行動が見受けられません。停滞が悩みの本質になっているのです。かっての武器として有効だったラケット、自分が壁を見て不機嫌にしていたら誰かが反省をして助けてくれる。は機能しないのです。

大人となったいまでは(広義の)自傷行為で他者をコントロールすることはできないのです。一刻も早くラケットを捨て、選択と集中に自分を投げ込むことが、自分を生かす方法なのです。それは、いきなりということでなく、ゆっくり少しずつ、少しずつ、安心を確認しながら始めていけばいいのです。

自己実現の妨害するアンビバレンス

自己実現の妨害をしているものについてお話しましょう。

テレビが特にそうですが、一度持ち上げたタレントがなにか不祥事を起こすと、嘘のように一転して、今度はよってたかって引き下げにかかるということがよく起こります。これはメディアの心理というより一般に見受けられる人間の心理なのです。

このような心理の背景には、アンビバレンスの問題があります。アンビバレンス(ambivalence)とは、「両価感情」「両面価値」「両価性」とも表現されますが、相反する考え、感情が無意識の存在することをいいます。
好きだけれどキライ。行きたいけれど行きたくない。食べたいけれど食べたくない。
指示に従いたいが、従いたくない。話したいけど、話したくない、というようにひとつのことに正反対の感情を持ってしまうことです。複雑な気持ちの裏には不安が潜んでいます。表現を変えるとポジティブ、ネガティブというように受け止め方が違ってしまう原因なのです。

自分の気持ちが未処理のまま、行動をすると相反する感情が湧いてきて行動していても葛藤が続くことがあります。すっきりとした行動と集中には、アンビバレンスの問題をクリアしておく必要があります。

しかし、人生早期にネガティブ体験をした人にとって、欲求に忠実に行動することは危険を感じることが少なくありません。
自分の行動に対する責任を引き受ける勇気が不足しているのですが、体験と共に痛みと不信がしみ込んでいるのはムリもありません。幼児にとってもっとも重要なのは、名誉でも財産でもありません。愛情と保護です。幼少期になんらかの理由で愛情と保護の不足を感じたした場合、臆病になるのは仕方がないことなのです。アンビバレンスは、その仕方なさから生じてきます。

物心がついてきた頃に父親との離別があると、異性不信と共に、子供特有の万能感が裏目に出て、自分のせいで離別が起こったと感じてしまい、時には強いトラウマになることも珍しくはありません。
成人しても、異性の誠実な好意と対峙することになっても、なにか裏があるのでないかとか、いずれ突然離れてしまうのではないかと不安がよぎります。

そこでそこでアンビバレンスが生じて、はっきりとした確信が得られるまでは、率直な態度は見せないというように頑なに繰り返し確証を求めるようになります。ネガティブな面からのアプローチになるので、「好きだけど」は隠されてしまい、「好きじゃない」が表に出できます。デートに誘われても、「行きたい」は隠されて「行きたくない」が意識されます。しかしいくら隠しても、気持ちはあるので抑圧され、抑圧が不十分だと、反動形成という形をとって抑圧しようとします。

反動形成とは、まったく反対の表現をすることです。抑圧が抑え込むだけなのに、対して反動形成は積極的に反対の態度や意見を表現するようになります。相手は表現されたことを真に受け止めるか、混乱します。コミュニケーションは、言葉だけでなく態度、表情などボディランゲージも含めて行われているからです。それらに一貫性がないので混乱するのです。

好きな人を困らせて内心喜んでいるのは、注目されることがうれしいわけで、そこには愛情の希求が存在しています。しかし相手が誠実に受け止めて反応したからといって改善されないのは、アンビバレンスから脱することができないからです。
ですから、その場にふさわしくないコミュニケーションが続くことに対して、助けてくれと言っている声が聴こえるような気がしても不思議ではないのです。

しかし、どのような深い愛情を持ってしても助けることはできません。人は他者を変えることは出来ないからです。それはいい意味でも、残念な意味でも「境界」があるからです。私はあなたではない。あなたは私ではない。だからこそ愛することが尊いといえます。

この境界を冒涜していると、最近のむごい事件に発展します。自分の思い通りにならないと暴力で思い通りにしようとする、簡単に殺してしまう、というのはその典型なのです。

誠実であればあるほど「境界」の前で苦悩することになるでしょう。つらくても悲しくても、仕方がないのです。そこでなにができるか、ひとつだけ残された道が「影響を与える」ことです。

アンビバレンスな行動は相手を混乱させるだけでなく時間、エネルギーを無意味に使い果たし疲弊させます。そこまで熱中することは、熱中する側にも「共依存」の危険が潜んでいます。限度を越えると「共倒れ」になります。健康な精神の持ち主なら、変化の起こらないことに見切りをつけて離別を余儀なくされます。

その結果、異性不信は強化されてしまいます。そして痛みから抜け出そうとして、別の異性と関わろうとします。結果は同じで悪循環が起こります。ただ繰り返されるだけでなくますます悪化します。しかも繰り返すほど安易な関わりになるので異性のレベルも低下していきます。

アンビバレンスを考慮するとき、ポジティブな意思がなければ迷うことはありません。ポジティブな意思があるからネガティブな感情に振り回されるのです。問題は
ポジティブな意思に見合う行動をした場合の責任を自分が引き受ける勇気です。これはビジネスでいうリスクがなければリターンもないと同じです。リスクをどのようにマネジメントするか、それが知恵なのです。

ビジネスと違い、その知恵が裏目に出ます。異性との関係では、他者を動かす企みでほとんどの場合、成功しています。つまり混乱によって支配することに成功してしまうのです。

しかし共依存でない場合は先に言ったように時間、エネルギー、時にはお金までも無意味に使い果たし疲弊させて、離別に向かわせます。共依存の場合には共倒れになります。

どちらにしても、最後には自己否定感と孤独感が待っています。これが悪循環の始まりになりますが、どれだけ循環しても自己否定感と孤独感から逃げることは出来ません。同時に自己実現の妨げになっていて、たった一度の人生を無駄に使ってしまいます。

では、何度失敗しても、懲りずに繰り返す、悪循環の背景にある幼児期からの手法について説明しましょう。

2010年12月24日金曜日

運命脚本が自分を縛っている

コミュニケーションに常に影響する基本的な4つの人間関係の構えには、以下のパターンがあります。

・自分はOK,他人もOK(自己肯定、他者肯定)
・自分はOK,他人はNO(自己肯定、他者否定)
・自分はNO,他人はOK(自己否定、他者肯定)
・自分はNO,他人もNO(自己否定、他者否定)

このうちのどれがあなたのパターンになっているでしょうか?
否定があると、人間関係が難しいと感じています。

否定的な構えがあると、次のようなパーソナリティになって表出することがあります。

・依存的パーソナリティ
・強迫的パーソナリティ
・支配的パーソナリティ

いずれも平行的コミュニケーションが苦手です。
日常的に交叉的、表面は平行的な仮面的コミュニケーションをやってしまう可能性が高くなります。

・平行的コミュニケーション
・交叉的コミュニケーション
・仮面的コミュニケーション

この3つのパターンは状況で使い分けていますが、人によって、傾向的に平行的コミュニケーションが多い人と、交叉的コミュニケーションの多い人がいます。

平行的コミュニケーションとは、相手と衝突しない交流です。
交叉的コミュニケーションとは、相手と衝突する交流です。
仮面的コミュニケーションとは、表面的には平行を保っていても、裏では交叉しているというように表と裏のある交流パターンです。

交流パターンも、パーソナリティパターンも、人間関係の構えが表面化したものです。

交流パターンも、パーソナリティパターンも、それがどれであっても、小さな不快感、苛立ち、傷つきはあるものの、いますぐ大きなダメージを受けることも与えることもないでしょう。

しかし、確実に自分の人生を形づくっていることは間違いありません。

それは、運命脚本としっかり結びついているからです。

・自分はOK,他人もOK(自己肯定、他者肯定)
・自分はOK,他人はNO(自己肯定、他者否定)
・自分はNO,他人はOK(自己否定、他者肯定)
・自分はNO,他人もNO(自己否定、他者否定)

の構えを取るようになった原因、つまり未解決の問題を処理方法を間違えているので、ネガティブな方法をとらざるを得ない。そのために用意したのが、自分の一生のすべてを賭けた「運命脚本」なのです。

たとえば「ラポ」には、最も多いのは父親との関係で傷ついた女の子の孤独と苦悩があります。人生初期に体験した根深い男性不信が隠されています。母親との関係性で不信も取り除けますが、父親が離れた原因はほとんどの場合、母親との関係によるものなので、母親の女性性にも問題があります。

男性不信は父親恋しの反動形成なのです。しかし自覚することはなく、男性の甘い誘いには裏があると考えます。誠実に接しても信用しません。やがて男性を支配するようになります。求愛段階になると、やっぱりそうだと極端な発想に支配されて
拒絶します。信用できる相手と分っていても、受け入れることができないのです。

これが繰り返されると、将来家庭を持っても、円満な家庭を築けませんので、結果的に、父親との関係で傷ついた女の子の孤独と苦悩する状態が、ふたたび訪れます。
これこそが「人生の目的」になっているのです。それが運命脚本です。

本当なら、また意識の上では、「苦労した分、温かい家庭を作りたい」と願うものです。本人もそのようなことを言葉にします。しかし問題が解決できていないと、言ってることと行動が真逆になってしまうのです。

しかし不思議なことに、このような女性には、未解決の問題を解決に導くような男性が現れます。受け入れるか、拒絶するか、本人の選択次第なのです。適切な見極めができるように、自分が自分と向かい合い、自分を知っておくことが重要なのです。どんなに着飾って美人だね、カッコいいねって言われていても、自分の幸福に役立つのは、苦しいことがあっても磨き上げた内側の力なのです。

パーソナリティ障害ってナニ?

ますます人の命を軽視した事件が増加の一途だ。この国の人はおかしくなってきていることは明白だ。自分のことに過度にこだわる人が増えていて、いっぽうで他者への共感が薄れる傾向が顕著だ。

自分の思い通りにならない人はどうでもいい存在として扱うことに抵抗が少なくなっている。その他者は自分と別の感情、意志、考えを持った存在であることを認識できないということだ。それが人間であっても動物であっても、自分の思い通りになる存在だけを愛し、思い通りにならない存在は敵と見なすという極めて理不尽で、不気味な思考パターンに陥った人が増えているのだ。いわゆる「パーソナリティ障害(Personality disorder)」だ。

パーソナリティ障害は、「病的な個性」または「自我の形成不全」の状態を言う。精神疾患のひとつに含まれるが、健全者として通常に仕事に就き、優れた功績を残している人は後を絶たない。その特徴は、その他の精神疾患と比べて、慢性的であり全体としての症状が長期に渡り変化しない点にある。しかし神経症なども治癒するまでに数十年の歳月を要するケースもあり、その辺りの判別も難しい。

パーソナリティ障害には、最近増加が著しい自己愛性パーソナリティ障害をはじめ、次のパターンがあります。

クラスターA
自閉的で妄想を持ちやすく奇異で閉じこもりがちな性質を持つ。
・妄想性パーソナリティ障害
・統合失調型パーソナリティ障害
・統合失調質(シグイド型)パーソナリティ障害

クラスターB
感情の混乱が激しく演技的で情緒的なのが特徴的。
・境界性パーソナリティ障害
・演技性パーソナリティ障害
・反社会性パーソナリティ障害
・自己愛性パーソナリティ障害

クラスターC
不安や恐怖心が強い性質。周りの評価が気になりそれがストレスとなる性向がある。
・回避性パーソナリティ障害
・依存性パーソナリティ障害
・強迫性パーソナリティ障害

「パーソナリティ障害」によるあきれた事件は、マスコミが騒ぐ対象だけではない。もっと身近にもっと数多くの理不尽が繰り返されているのだ。

理不尽を行う人には、それなりの背景があり、彼、彼女らもかっての犠牲者である場合が少なくない。その痛みはどのようにして生じたのか、それを知り、彼、彼女らの痛みを分かち合うことをしない限り、パーソナリティ障害をもった人を救うことはできない。
それは簡単にできることではなく、何の知識も持たない人が善意で取り組んでも逆に事態を悪くしてしまうだけの方が多い。

そういう自分も最近、交流分析で言う「ラポ」にはまってしまい、後になってしまったと思ったばかりである。しかし、私はそれを恥じること、さもしいとも思っていない。自分にはしっかりとした行動基準があり、私は私の魂の指揮官として、感情はほぼ完全にコントロールできていて、常に客観視していた。それでもクライマックを想像する点で落度があり、助けることができないばかりか、むしろ強化させる結果になったのではないと口惜しい思いをしたばかりだ。

パーソナリティ障害について、そのプロフェッショナルでさえ、十分な処置ができない状態であり、医療体制も整っていない。唯一に近い状態で「躁鬱病」が薬を出してもらえるような状態である。しかしいまや「パーソナリティ障害」を放置できる状態ではないのだ。

対策の最初の一歩は、まず自分を知ることです。ライフスキルのひとつ自己認識スキルに磨きをかけて、そして次に相手を知ることです。
そもそも「パーソナリティ障害」はなぜ起こるのかについて考えてみましょう。

それには親子の関係について、認識を改めることから始めなければなりません。
そこで、まず子育てのマイルストーンを説明します。ここで注意してほしいのは、それぞれの時期が、バラバラに完了しているのではなく、因果関係でつながっっている点です。

■0歳~5ヶ月 安心認識の時期

 最初の時期の目的は、守られている安心感の内に環境に慣れさせてあげることです。ですからお母さんの守ってあげるやさしい気持ちが大切です。言葉が分からない赤ちゃんとスキンシップで気持ちを伝えていきます。

 この時期の乳児は環境に慣れていく時期です。生まれたばかりの乳児にとっては五感から入ってくるすべてが不安です。母親の保護が頼りの時期で、母親の心からの愛情で、しっかりやさしく抱いてあげることが最大の対策です。

この時期に不安を与えると、環境順応に時間がかかるこどもに育ちます。保護者の五感への配慮が大切です。幼児が不安がるのは止められません。不安の材料を親が取り除いてあげることが親の自立です。

■5ヶ月~10ヶ月 

親離れの芽生えの時期です。
寝てばかりいた乳児が、ハイハイするようになります。

この時期の目的は、環境に対して安全、安心の内に行動で確認させて慣れさせてあげることです。

 幼児には、すべてが「不思議」の対象です。好奇心が旺盛で、触って確かめようとします。危険を心配して、触らないように注意しますが、本人の自由意志を阻害する注意の仕方は好ましくありません。触らない注意をするより、置かない注意をしてあげることが大切です。

 実は、これができるのが自立した親の特徴です。つまり相手を変えることはできないが、自分を変えることはできる。相手をコントロールせずに自分をコントロールします。こどもに注意するより、自分が注意することで、危険を除いておきます。

この時期から、躾の準備をします。躾は親に従うのが基本です。

■10ヶ月~18ヶ月 躾で行動の制約を教える

 ハイハイからヨチヨチへ。行動範囲が広がり、こどもの世界は一気に拡大しますが、同時に危険も増えます。

■18ヶ月~5歳の時期  

こどもの基礎が作られる躾の時期です。

この時期の目的は、制約を教えるために、しつけによって、自分がアクションすれば何でも叶うという万能感をゆっくり排除します。

 育てやすい、自律できるこどもに育てるには、この時期に制約を教えて、自分の限界を教えておくことが肝心です。自分と他者は違う、人と人の間には境界があることを感じさせます。こどもを否定するのではなく、していいこと、してはいけないことをきちんと教えます。

 たとえば、親を叩いたりしますが、「痛い、そんなことをしてはダメ」と教えます。怒るのではなく、落ち着いた態度、表情で、真正面から言葉、表情、態度が矛盾しないしっかりとしたコミュニケーションをします。

かわいいからと、まだなにもわからないからと甘やかすと、万能感を持ったまま、制約も限界も知らない無軌道な大人になる可能性が潜んでいます。まだなにもわからないからきちんと教えておくのです。こどもは小さいときに教えておくほど、手間も労力も費用もかかりません。

 この時期に教えておかずに、3歳~5歳の時期に教えようとしても、こどもも万能感を手放そうとしなくなり、わがままを主張するので、何倍もの労力がかかります。


■3歳~5歳 

親を真似る時期

男の子はお父さんの真似を、女の子はお母さんの真似をします。

この時期の目的は、情緒の安定です。それには父親・母親との間のバランスのとれたコミュニケーションが必要です。夫婦が力を合せて、厳格な父の心、保護的な母の心をしっかり教えるようにします。

 「三つの心」でお話したように、親の心には厳格な父の心、保護的な母の心があります。こどもたちは親の真似をしながら、親の心も学んでいきます。

厳格な父の心からは、自分を抑制する力を身に着けます。母親の保護的な心からは自然な自分を身につけます。

この時期に、お父さんと接する機会が少ないと、厳格な父の心が身につかなくなり、やりたい放題になります。その分、お母さんがお父さんの役割をこなそうとして母性的な気持ちを抑圧すると、こどもは受容されていないと感じて、不安になります。両親の愛情ある関わりが必要な時なので、忙しくてもお父さんの育児参加を計画的に実行します。

それが不可能な場合は、母性的な気持ちを抑圧せずに受け入れていることをたっぷり伝えながら、お父さんの役割を果たすようにしてください。

 結婚した後、厳しく支配的な妻になる女性がいます。しかし他者に対しては気がひけて主張ができないというアンバランスぶりで、これが同一人物かと目を疑うような人です。

このような自立できない依存体質は、この時期に、お父さんと接する機会が少ない、あるいはお母さんの言いなりになっていたお父さんしか知らないのが原因です。父親から自律することを学んでいないのです。

 また、この時期、言うことを聞かないと、叱り飛ばす親を見かけますが、効果はありません。自律が身についていないので、聞いたふりをしているだけがほとんどです。注意しても効果がないのでイライラするし、一層激しく感情的に叱りますが、そんなことにならないように、「10ヶ月~18ヶ月」の時期にしっかりしつけておきます。

学業は、小さいときに習慣化させておくと、大きくなったときも楽です。親の真似をするこの時期は、親も熱心に勉強し、スポーツするようにします。またボランティア活動に親が参加することも大切です。こどもの前での夫婦ゲンカや、テレビを見てごろ寝するようなことはやめてください。


■5歳~12歳 

境界を認識する時期

「自立」を教え、自然に「自立」を受け入れさせるのが目的の時期です。

この時期には、自分と他者は違うことを教えます。その教え方は自分のことは自分でさせる。こどもが助けを求めないのに助けを出さないことが肝心です。

実は、こどもが助けを求めないのに助けを出してしまって子育てに失敗している親が多いのです。たとえば、学校から帰ってきたこどもに勉強しなさいと言うのが、それです。寝る前に歯を磨きなさいと言うのもそれです。

親がこどもの行動に関わると、自分と親は他者とは思えなくなります。自分のことは自分がしなくても親がしてくれると思います。何もしなかったら親が言うだろうと考えるようになります。これでは万能感が断ち切れません。

この習慣が大人になっても続き、会社に行けば、用があれば上司が言うだろう、家庭に帰れば、嫁がするだろうと考えます。自分と他者の境界がない依存体質がすっかりしみこんだ人間になります。

この時期に徹底して教えるべきは、自分のことは自分でする、助けが必要ならはっきり自分で助けを求める意思表示をさせます。

自分のことは自分にさせるには、自分の計画は自分で立てさせて、実行させることです。親は、結果だけでなく、それ以上に様子(プロセス)を見てあげるようにします。

■12歳~18歳 

親離れの時期

 この時期の目的は選択と行動と結果の因果関係を理解させ、最適な結果が出せるように計画性のある行動ができるようにさせることです。

この時期は、境界の認識を深めさせることです。よくある「いい学校に入る」は親の問題でなく本人の問題です。本人が考えて選択~行動できるように育てていく。それが自立のプロセスです。

自分の行動と結果の因果関係と自己責任が理解できるようにします。自分の選択と行動の結果への理解、選択は自分がしている認識を深めます。

その方法は、5歳~12歳の頃とは格段に違います。5歳~12歳の頃は強く言えば説得力もありましたが、この時期は反発するようになります。感情的な対応はますます混乱に誘うだけで、きちんと伝えたらきっと分かると強い信念のもと、穏やかで確信に満ちたコミュニケーションが功を奏します。

 「勉強しないとついていけなくなるよ」と勉強を催促しても、こどもは「大丈夫」と返事します。親にしたら、「大丈夫でない」と言いたいのですが、否定は口論になるだけで互いに感情的になるだけです。まず信じます。「それなら約束してください。今度の試験の点数が80点以下だったら、外出禁止にしますよ。いいですね」と感情的にならず毅然と落ち着いた口調で話します。

 もし80点以下なら、約束した通りにします。自由は良識と良心でできていることを教えます。責任をとれないようなら自由を語る資格がないことを教えます。

それでも、次回も同じようなことになるかも知れません。しかし大事なことは、親の言うことに言いなりに従わせるのではなく、因果関係を自分でマスターすることです。また同じ約束をします。

小さいときに学習を習慣化させておくと、大きくなったときに学業も楽です。
以上、0歳から18歳までの子育てのマイルストーンの概要を説明しました。

ここで注意したいのは、親と子供では全然立場が違うということです。

親は子育ては全体的があると信じ込んでいますが、幼児期のこどもには単一のもので、つまり一回、一回の関係でしかないのです。幼児が持つ一回一回の欲求を満たす人が幼児にとっての良い人であり、満たさない人が悪い人なのです。ですから朝の幼児の欲求が一度あって、それを満たした親はいい人ですが、昼に幼児の欲求があり、それを満たさなかった人は良くない人なのです。そこで親、保護者に一貫性がないと幼児は安心感を持てなくなってしまうのです。思い通りにならないと「悪」、思い通りになると「善」というように認識していくのです。

しかし、現代の親は、ケータイや美容など、自分に関心があることが多いので、こどもの一回、一回の欲求に充分応えていない場合が多いにもかかわらず、全体的にケアしていることで、十分なケアをしていると思い込んでいる側面があります。

このための人生早期に親に対して不信感を持ってしまい、「白黒思考」が強くインプットされてしまうのです。

その上、離婚などによって親がストレスを抱えた状態で、3歳~5歳 親を真似る時期を迎えることになると、子供は不安を覚えることになります。

さらに5歳~12歳の境界を覚える時期に、外部環境との接触を通じて、3歳~5歳の時期に生じた不安が強化されることになり、パーソナリティ障害が生じてくるのです。

親子の関係は、弱愛でも、無関心でも問題があり、終始「バランス」が問われいています。バランスが悪いと不安が強化されてしまいます。私もOK,あなたもOKというように互いに尊重して人権を大切にできる自他尊重のあり方は、自分を愛せる能力が出発点です。自分を愛する能力が不足している状態、つまり不安が自己愛にこだわる自分を作り出し、他者への関心にまで気が及ばないパーソナリティ障害者にしてしまうのです。

特に母娘の関係は干渉が強く、成人しても娘は干渉を受け続けます。母親がパーソナリティ障害があった場合、娘は息苦しさの原因が分らないまま、受け継ぐことになり、それが子供に影響するということが起こっています。パーソナリティ障害は広がる一方になり、最初にあげたような問題が増え続ける状態になっているのです。

パーソナリティ障害から脱するには、パーソナリティ障害のそれぞれ各タイプにふさわしい対策を打ちます。

2010年12月2日木曜日

忙しくても自由な時間がとれる方法

「忙しすぎて、自由な時間がとれない」
時間が足りないと話す女性はたくさんいます。

それはそうだとしても、昭和の高度成長期前、つまり洗濯機も冷蔵庫もクーラーもないのが当たり前の時代のおかあさんだって店の切り盛りをしながら、子育て、家事、仕事にフル回転していました。

こういう比較はお好きでないかも知れないが、それと比べると忙しいというより、やることが多すぎないか、チェックしてみましょう。

しなくていいことをしていないか。

本当に必要なことがなにで、不要なことはなにか、誰かが仕掛けたコマーシャルベースで考えずに、自分に本当に必要な暮らしの視点で見直すのです。

「急いでいることは、忙しい人に頼め」と言います。普通は反対に思うことがそうではないのには、ちゃんと理由があります。

忙しい人は時間の使い方がうまいのです。物事の取捨選択も迅速で的確です。暇な人はダラダラと遅いので仕事が入ってこないのです。集中力の違いの差なのです。

よくケータイのメールを見ながら、 通行人にぶつかったりしながら 歩いている人がいます。このような人は時間の使い方が悪い人ではないでしょうか?

いまこの瞬間に集中したほうがはるかにミスもなく効率がいいものです。時間の観念がないから思いつきで気になることをこなす状態が段取りをしていないといことではないでしょうか?

感情の赴くままに行動していると、本当の瑞々しい感情が停滞して淀んでしまいます。

時間が不足する暮らし方には、大事なことを忘れている可能性のあることに注意してみましょう。
高度成長期前のおかあさんが大事にしていたものを見失っていないか、注意が必要です。

自分と周りの人の人生を豊かなものにするには、感情がコントロールできて、自立性が担保できている必要があります。

子育てに悩むお母さんが多い理由には、忙しくてイライラして、いまこの瞬間に集中できない散漫さが影響しています。

忙しくイライラした状態で、心の通ったスキンシップできるでしょうか?

衣食住が満たされている現代ではスキンシップの不足が目立っています。豊かな感情の交流が、多忙だからこそ、自分を振り返って、その大切さを知る機会なのです。

本当に必要なこと、不必要なことを整理する基準に「豊かな感情の交流につながることか、そうでないか」を選ぶことはすてきなことではないでしょうか?