企業活動には成否を図るいくつかの測定基準がありますが、なにを一番重視するのが正しいのでしょうか。
- 利益
- シェア
- 成長率
- 顧客満足
- 従業員満足
- 社会貢献
- 株価(上場している場合)
まず利益は絶対額こそが重要です。それに比べてシェアは業界内の相対的な規模の話なので、決定的な意味がありません。規模の変化を観察する成長率も同じです。共に利益と正比例しますので、利益に従属するものです。
シェアや成長率を気にする経営者がいるとしたら、それらが利益と正比例しているからに他ならないはずですが、トップマネジメントの表現の仕方で、管理者や一般従業員に勘違いが起こることもあるので注意が必要です。
顧客満足は、実際には利益そのものを意味します。同じものであり、表現の違いでしかありません。顧客満足は利益と同義語ですが、少しばかり違うのは顧客満足がプロセスのあり方も内包している点です。
顧客満足を重視するのは、「利益」と言っても「長期継続利益」を意味しているからです。もし長期継続を忘れて、あるいは抜きにして「顧客満足がもっとも重要だ」と定義するなら、歪んだ考え方と言わざるを得ないでしょう。
従業員満足も社会貢献も「長期継続利益」を可能にしてこそ実現できるもので、従属的なものです。
つまり実際に勝敗を決する基準、最も重視する基準は「長期継続利益」なのです。
「長期継続利益」を可能にするには、立ちはだかる障害をどのように越えるかが問題になります。
- 業界内部の対抗度
- 新規参入者の脅威
- 代替品の脅威
- 供給者の交渉力
- 買い手の交渉力
5つの障害は、どのようなビジネスでも生じます。これら障害の脅威が強いほど、「長期継続利益」実現の難易度は高くなります。この5つの条件によって、世の中の動きが、常に利益が出ない方向へ誘導したことを歴史は物語っています。
世の中の動きとは、代替品の登場、新規参入から始まり、供給者の交渉力、買い手の交渉力が高まることでした。その結果、これまでの牙城が崩れるというパターンを繰り返しています。
実のところ、ここまであげたのは、あるいはここまであげたことは、人間の活動には共通した普遍的な問題だからです。活動には成否を図るいくつかの測定基準があると言いましたが、人には幸福を図る測定基準があると置き換えたらどうでしょう?
- 恋愛/結婚
- 子育て
- 家族
- 仕事
- お金
- セックス
- 健康
さて、あなたにとって一番重要な基準は何でしょう?
どれも大事なことですが、これらを機能させるには「長期」を念頭に置かないと幸福は続きません。しかもこれらの内、どれかひとつが機能すれば幸福ということはありません。ひとつひとつがすべて長期に機能することを「幸福」と表現しているのです。
それにしても「すべて」とは、随分と欲張った話ですね。しかし事実です。これらの基準の内、全部に影響しているのは「健康」です。もし健康でなければ、すべて困難になるか、縮小を余儀なくされます。ですから心身のセルフケアがとても大事であることが分かります。自分への関心を強くすることができてこそ健康は実現できます。
企業活動のすべてが、環境の変化に伴い利益の獲得が難しくなるように、人間も健康維持が困難に向かいます。それを乗り越える力が、企業なら利益、人間なら健康という禅問答の話になりますが、この健康の内訳が恋愛/結婚、子育て、家族、仕事、お金、セックスなのです。これらは健康を構成している要因なのです。
これらの要因を満たしていくことが健康に暮らす方法なのです。そこで「この人と結婚できたら他の事はいい」といった本心ではないことが本心のように思える勘違いが起こります。恋愛がうまくいけば健康になれるのか、いい家族を作れば健康でいられるのか、お金を沢山持っていたら幸福なのか、いいセックスをすれば幸福なのか。
短期的な目先のそれは実現できても長期の健康も幸福も無理なのです。ただ健康を構成している要因を満たすだけではダメなのです。
では何が問題なのでしょう。私たちはどうしたらいいのでしょう?
健康を構成している要因の「満たし方」が健康を実現するキーワードなのです。
冒頭の企業活動の話に戻してみましょう。企業活動での長期利益を実現するには、競争相手に勝ち抜くことが必須条件になります。なぜなら>競争相手に勝ち抜くことは、勝つことが目標ではなく、勝つことが「長期継続利益」を困難にする障害を越えることと同じ意味だから重要なのです。なぜならみんな同じ障害と闘うからです。
つまり他社との明らかな違いが求められますが、障害を乗り越える知恵と行動力が問われるのです。人生はコントロールできないが、問題を乗り越えることが出来る。実はマネジメントこそが生きる醍醐味だと分ります。
それを健康に引用するとどうなるでしょうか?健康も幸せも個人的なものだからライバルなんかいないと思うかも知れません。でも、誰にも強力な競争相手が存在します。もうお気づきですね。最大の敵は、自分自身です。
そこで”なにを”ではなく、”どのように”が問題なのだと気がつきます。
「いい恋愛/結婚をすれば健康(幸福)になれる」のではなく、「どのように恋愛/結婚をすれば健康(幸福)になれるのか」
「いい子育てをすれば健康(幸福)になれる」のではなく、「どのように子育てを
すれば健康(幸福)になれるのか」
「いい方法で健康になれば健康(幸福)になれる」のではなく、「どのように健康に向かいあえば健康(幸福)になれるのか」家族、仕事、お金、セックスにも同じように言えます。
自分のスタイル(やり方)こそが問題なのです。いい恋愛/結婚がいい子育てになることはありません。いい子育てがお金を貯めることにはなりません。いい恋愛をすることが、いい仕事をする力にはならないことを意味しています。
しかし、いい恋愛をするスキルがあれば、いい仕事をするスキルになることはあります。
自分のスタイル(やり方)が、幸福の因果要因(恋愛/結婚、子育て、家族、仕事、お金、セックス、健康に蔓延していなければならないのです。
つまり、企業活動で言うコンセプトが、自分のスタイル(やり方)であり、自分のポリシーなのです。長期の健康、つまり、幸福の柱を実現するためには、企業がコンセプトにトライするように、自分のポリシーを目的にするべきなのです。
私たちは本当にスキルに関心を持ち、少なくてもファッションや化粧並みに、自分の行き方(やり方、スタイル)に関心を持っているでしょうか?
あなたは利益さえ出れば何をしてもいいと考える企業をどう考えますか?それと同じように幸福ならなんでもいいといった生き方に暴走している人もいるのです。
もし不健全なポリシーだとしたら健康は破綻します。ポリシーを実現するには、因果要因のずべてに同じポリシーが宿っていて、串刺し状態にならないと、ポリシーは実現できません。因果要因のひとつ、ひとつを同じポリシーで丁寧に仕上げていかないと、ポリシーを実現できず、「自分」はバラバラに空中分解してアイデンティティを失います。自分は何者か、自分の目的は何か、自分が何で幸福を感じるのか、分らなくなってしまいます。
「幸福になる因果要因の串刺し」が幸福のキーワードです。
自分の周囲に存在している、あらゆる技術が向上するほど、自分に力を与えてくれるように錯覚する危険を孕んでいます。ポリシーが情報からの借り物になるばかりで、自分の力を失うことになっている場合も少なくありません。
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