自律、因果関係、原理原則・・・人生を楽しく生きる三つの知恵です。
こどもを育てていると、その分、親の欲求は抑制を強いられます。抑制の度合いはひとりひとり違いますが、年々乏しくなっているように思います。それがいいことか、悪いことか、その判断も度合いと質で変わります。
いずれにしろ幼児虐待というのは抑制が出来ずに起こります。親が自律できないのです。自分を規制することが我慢できないのです。
子育てに限らず自律の問題は愛情と密接な関係があります。自律には秘訣があります。抑圧が気にならないほど、気を奪われることを持っていることです。抑圧に意識が集中すると被害者意識が強くなります。幼児が苦痛を与えていると思い込むと「おまえのせいだ」と子供にはけ口を求めてしまう。
逆に子供への愛情が満ちていたら、自分が我慢することくらい何ていうことないと思います。同じことをしていても観ているところが全然違うのです。
寝食忘れてというのは、生きるために必須の欲求ですが、それさえ気にならない状態のことです。一般的にはポジティブに働いた場合の表現ですが、ネガティブに働いた場合の状態が中毒、依存です。幼児虐待もそうです。自律できている状態はバランスがとれていることで、自律の裏返しが抑制です。
なぜ、抑制できないかというと、原理原則を知らないのか、受け入れることができないかです。原理原則とは「原因と結果」の事例をたくさん知っていることです。
数少ないと潜在意識にまで入っていかないので、役に立ちません。知識として知っていても機能しないのです。考えるとき、ルーティンワークのように自然に働かないと使い物になりません。
たとえば同じ業界でも、川の流れと同じように上流、下流、中流があります。そのポジションで頭の動き方が違います。億の単位で商売する人、銭の単位で商売する人がいて、儲け方も違います。頭の良し悪しではなく、思考回路が全然違うんですね。犯罪を働く人もそうです。一般の人と思考回路が違う。詐欺はその典型です。
アイディア商品を発明する主婦の頭脳もそうです。ダジャレを連発する人も同じです。同じものを観ても見方が違う。幼児虐待に走る人も同じで、やはり思考回路が違う。
希望を叶える力のある自分になりたいと思うものの、思うようになれないのにも理由があります。自分だけの問題でなく、少なくとも三代くらい前の先祖の影響は受けている。親の因果が子にたたり・・・というやつで、因果関係がある。なぜ、いまの自分がと思っても、なかなか思うように変われないのには習慣があります。
だから、因果関係に目もくれずに希望に向かって、わき目をふらずに、まっすぐ突き進むのが一番手っ取り早い。耳なし芳一の世界です。耳なし芳一は成功しませんが、2回映画化された山田風太郎の「魔界転生」では柳生十兵衛が同じことをして幽霊を打ち破ります。
それでも寝食忘れ、自分を律して、やりたいことに突き進んで成功した人、あるいは感受性の鋭さや特長で成功した人が、結果的には潜在イメージに支配され自ら破滅したケースもたくさんあります。この人たちは因果関係を読まなかった人です。
内面の力に関心が弱かったために、感情の怖さに気がつかなかったケースが大半です。
自律が外的な力を高める目的のためだけでなく、自分自身つまり内面の力を高めるために使われ続けたときに、自分の手によって幸福はもたらされるのです。しかしそれをひとりで続けるのが難しい。だから抑制したいと思い続ける動機が必要なのです。モチベーションをあげる原動力となる目的を持つことが大切なのです。
スポーツジムで長続きする人は、ひとりでやってくる人です。ふたりで来る人の方が脱落しにくいのですが、それも最初の内だけです。確かに最初はひとりより、ふたりの方が続きます。休もうとしても、片方が行くと一緒についてくるので、長続きしますが、やがてはそれも時間の問題です。ひとりが脱落すると簡単に止めてしまいます。依存しているから続いただけで無理があるのです。
ひとりの場合は、脱落も早いのですが、それを超えた人は習慣化します。抑制したい気持ちが続くのです。そういう人が、同じような人を見つけて新しい友人を作っていきます。「あの人もがんばっているから、自分もがんばろう」
恋愛も、家族も、仕事も、自分作りにも、同じ原理が働いていて、同じような因果関係のメカニズムがあります。このメカニズムを機能させることで自律が容易になります。
苦手な自律を簡単にするコツは原理原則が語る因果関係を上手に使うことです。
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